私にとって父親は「親」でも「家族」でもなく、ただの「無能な上司」だった。

こんにちは。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

連載コラム「毒親と縁を切った話」です。

今回は、「実家は我が家ではなく、会社だった」というお話をさせていただきます。

 

私は、いろんな事情から主人と様々な機関の助けを借りて毒親と縁を切っています。

親と縁を切ると決意した理由の1つに「考え方と生き方が全く違うことに気づいた」ということがあります。

正直に言えば、私は「親子だから、考え方も似たようなものだろう」「だから、話せば分かってくれるだろう」とどんなに酷いことをされても、「いつかは分かり合える」と根拠もなく信じていました。まあ、私が馬鹿だったんです。

縁を切って、生活も落ち着いて生き生きと暮らしている現在、その考えが間違っていたと確信しています。

 

私の父は「俺は経営者だ」と言っていたし、幼い頃には憧れてもいました。後継者だと言われていた私は、商売に関わる勉強をたくさんして、セミナーなどにも参加し、家業を手伝いながら実践したり、会社勤めをしたりと、試行錯誤しながら「経営の基礎」を独学で築いてきました。

私は女ですので、経営に向いている婿をもらって主婦業と家業の裏方全部をして「裏ボス」として君臨するつもりで、様々なスキルを身につけていました。現在の仕事にも役立っているので、スキルを身につけてよかったとは思っています。

主人は会社員をしていますが、どちらかと言えば個人事業主やフリーランス向きなタイプです。仮に私の収入が主人の2倍以上になったら会社を辞めてもらって、何か事業をさせたら面白いかもと思っていますが・・・。本人は「るいちゃんがフリーランスで俺の数倍稼いでくれるようになっても、俺は“安定収入“で生活費を稼いで、“厚生年金“を多くもらえるようにずっと会社員を続けるよ」「るいちゃんの稼ぎは2人の老後に楽しく暮らすための資金で」と言ってくれています。

 

 

 

今の私は順調にブログ収入を得ていますが、親と縁を切る前は全くだめでした。

その理由は、「父親は、経営者とは言えない人間だった」からです。それに気づかなかった私も馬鹿だったんですが、自分が家業とは関係ない業種でフリーランスとしてやっていく中で、父に対して「あれ?」と感じることが増えてきました。

父が「自分は経営者だ」と豪語していたので、「この話を理解して当然」だと思って話を振るのですが・・・聞いているふりをして、全く聞いていないし、理解もしていないのです。そして、独自に父の仕事について調べて行った結果、「あ、この人バブルと運だけの勘違い成金だ」ということに気づいてしまったのです。

それに気づいたとき、「だから、お金を使い込み、家事もせず、ギャンブルをして、浮気もして、祖父母や娘たちに迷惑しかかけない母親に何の指導も改善もできなかったのか」と納得してしまいました。

そんな母親に指導することも改善することも、捨てることもできない父親は、家事も家業も、お金のことも全て娘夫婦に頼るようになりました。しかし、頼る気満々であるのにこちらが「改善しないと、無理」「共倒れだよ」と言っても聞き流し、改善理由と、改善案を書類で提出してもブチ切れて怒鳴り散らすだけです。

 

親と縁を切る準備をしているとき、適度に連絡を絶ったり理由をつけて接触を拒んでいたのですが、上記の一件で私が怒っていると思ったからなのか、父親はあからさまに下手に出てきました。「生意気なことを言うな!」とブチ切れたくせに、こちらが怒っていると感じたら、ゴマスリをしてくるのです。実の親に言うのもあれですが、本気で情けない男だと感じました。

結局、父親は娘夫婦を自分の後継にしたかったのではないのです。単に「自分の言いなりになる奴隷」「自分の面倒を見てくれるATM」が欲しかっただけなのです。

しかし、「このままでは、いずれ生活が立ち行かなくなる」ことが明白な状態であり、私が別で収入を得ている仕事に関しても邪魔をしてくるし、文句を言うし、「今は全然だけど、継続して確立させることができれば不労所得になる」といったことを事細かに説明しても理解しようともしません。というか、私がブログという媒体で収入を得ることに邁進していたのは「親にお金がなく、自分たちの生活をしながら、親の生活も支えるためにお金が必要」だったからです。

 

老後にどれくらいのお金がかかるのか、介護状態になったらどれくらいのお金がかかるのか、国民年金しかもらえない親にどれだけ説明しても、「そこは、お前らが何とかするだろ」と話を聞く気はありません。

働きもしない、家事もしない、浮気にギャンブル好きの母親、何もしない無計画な父親を反面教師にして、「この家は、私が何とかしなくては」と努力を続けてきた私は、完全に心が折れてしまったのですよ。

親と縁を切る前の半年間くらいは、私は完全におかしかったです。当時は親とは別に暮らしていたのですが、電話があるたびに情緒不安定になり、家を飛び出して徘徊したりもしました。主人は当時、「本気で靴とか鞄にGPSをつけようと思っていた」と色々調べていたようです。

あとは、実家に行かなくてはならない日の2週間くらい前から、拒食や過食、嘔吐などの体調不良になり家事もできなくなりましたね。親が突然、訪ねてきたときは「仕事モード」で乗り切っていましたが、親が帰った途端に嘔吐したりもしました。

(私は仕事モードになると、嫌なことでも平気にできてしまうのです。例・餡子が喉に通らないほど嫌いなのに、仕事と認識した途端に味覚などの感覚がなくなって普通に食べられる、など)

 

 

 

そんな精神状態で、ブログを書いていたり、仕事をしていたので本気でダメダメでした。

親と縁を切った時に、全部リセットさせて完全なるゼロからスタートしましたが、精神状態が落ち着くまで時間がかかりましたね。

 

色々と語ってきましたが、結局は「親と私は、全く違う人間だった」ということです。

仕事に関する考え方も、姿勢、やり方も違うし、持っている知識も違います。

「父は自分のことを経営者だと豪語しているのだから、理解して当然だろう」と思い込んでいた私も馬鹿でした。それでも、後継者として育ててきた娘が、努力してスキルも身につけて経験を積んできて「このままではだめだ」と、仔細を含めてプレゼンしているにも関わらず「生意気を言うな」とはどういったことなのでしょうか。私の作成した企業改善のプランはプロに依頼すれば数百万の価値があると自負しています。

父が私を後継者だといい、私は父を上司だと思って生きてきました。

 

親と縁を切って、生活も精神も落ち着いたからこそ理解したのですが、私は父親のことを「親」とは認識していませんでした。

はっきりと言えば、「会社の上司」として認識していたようです。

単純に言えば、幼いころから上司と一緒に暮らしていたのですよ。

 

 

いつからそうなってしまったのかは、わかりません。

実家が自営業だったからもあると思いますが、私にとって実家は「会社」であり、父親は上司であり、母親はお局様だったのですよ。

私にとって、実家は「我が家」」ではなく「会社」でしかなかったのですね。

その考えが、私の中にストンと落ちてきて「なるほど」と納得しかなかったので、本当にそうだったのだと思います。

 

泪ーruiー

 

 

 

 

 

 

毒親に関する他の記事はこちら。