自分で考えて、そのために努力する「己の意思」がなければ、何かが歪む【盲目的な恋と友情】【辻村深月】

 

 

こんにちは。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

読んだ本の感想です。

 

 

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「盲目的な恋と友情」著・辻村深月

 

 

読み終えた感想は、

「自分の意思や欲を大事にせず、なんとなくで流されているち

「断ち切らなくてはならないもの」から逃げることもできなくなるのだな、です。

 

 

「恋」の主人公である「蘭花」と

「友情」の主人公である「留利絵」に共通していることは

「自身の意思がない」ことだと感じました。

 

 

蘭花は周囲に言われたことや

己の意思で選んだわけでもない環境で

「なんとなくそうなったころ」がたまたま幸せであったけれど

その幸せが壊れても、それに縋るしかなくなってしまった。

 

それは己自身が「考えて」「努力して」そうやって掴んだ物ではなく、

「なんとなく舞い込んできたもの」だったからこそ

逃げられなくなったのだと思う。

 

 

「考えて」「努力して」そうして掴んだ物であれば、

トラブルが起きても新たに「考えて」「努力して」なんとかすることができるだろう。

 

 

自分自身がきちんと考えているからこそ、

負の方向に向かった時に考え直すことができるのだと、私は考えている。

 

 

なんの努力もせず、何も考えずに得られた幸せは

トラブルが起きて負の方向に変わっても、どうしていいのかわからないのだ。

 

 

そこから、負の連鎖が始まる。

 

自分の意思がきちんとしていれば、

なんとか方向を変えることができたであろう。

 

 

留利絵には自分の意思がないと言うよりは、

周囲から影響を受けすぎて、

自分以外は拗ねて敵であると思っている。

 

 

周りと自分を比べることしか考えていなくて

そこに「私はこうなりたい」という意思がない。

 

 

誰かと比べて「私はこうなのだから」と相手を否定している。

 

 

蘭花には依存しており、独占欲が強いので、

彼女が、留利絵よりも不幸だからである。

 

そして、彼女のとの仲を邪魔するものをとにかく否定する。

 

 

だからこそ、2人は歪んでしまった。

 

 

周囲に流されることなく

誰かと比べることもなく

 

「私はこうなりたい」「私はこうしたい」

そんな意思や欲をきちんと持っていれば歪むことはなかったのだと思う。

 

 

2人の共通の友人である「美波」は

作中では「嫌な女」のように表現されているのだが、

実際に人生がうまくいっているのは彼女なのだと感じる。

 

 

美波は自分の意見をしっかりと告げるし

無理に相手に合わせることもしない。

 

 

「私はこうしたい」を大事にしていし

わがままなように見えるかもしれないが、

それが「普通」なことのようにも思える。

 

かといって、気を使わないわけでもない。

それでも嫌なものは嫌だと言うし、

耐えられないような我慢もしない。

 

 

美波には自分の意思があるのだと感じられた。

 

だからこそ彼女は就職もうまくいったし

著名人とも結婚できたのだろう。

 

彼女は生きることが上手いのだ。

 

 

蘭花と留利絵にはそういうところが足りなかったのだと思う。

 

 

 

 

というのが、私の感想になります。

 

 

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