親が子供にした酷いことを「親になればわかる」で片付けないで欲しい。【寺地はるな】【小説感想】

 

 

こんにちは。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

こちらの小説の感想です。

 

 

彼女が天使でなくなる日 [ 寺地はるな ]

 

 

ネタバレありますので、ご注意ください。

 

 

親に捨てられて「もらいご」になった主人公「千尋」が大人になり、

育った島で民宿を営んでおり、

そこに訪れる「何か」を抱えたお客さんたちとのお話です。

 

 

どこか無愛想な千尋ですが、

人生に達観しているところがあり、

「ニヒルな女」ですね〜。

 

 

私自身も千尋の言葉にハッとさせられたことがありました。

 

 

「親にならないと、親の大変さはわからない」という言葉に対して、

「わかる必要があるのか」と答えるのです。

 

子供を捨てた親の気持ちなんかわかりたくないし、

捨てた娘に会いたいとか、面倒見て欲しいという親の気持ちもわかりたくない、

というよりは、「そんな気持ちは理解する必要がない」と

そんなことを言うのです。

 

 

きっと、これが「本来なら、当たり前の感情」なのだと思います。

 

それでも、世の中は「どんなことをされても親の面倒を見るのが当たり前」だとか、

「子供が親の所有物」であり「何をしてもいい存在である」ことが前提になっている気がしますね。

 

どんなに傷つけられても、大嫌いでも

稼ぐことのできない子供は親の言いなりになるしかなく、

顔も見たくないと思っていても、

「親の面倒を見るのは当たり前」という圧力がかかり、

 

「親になれば、苦労がわかるわよ」と洗脳し、

「ほら、子育ては大変でしょ?あなたに辛く当たってしまった気持ちがわかるでしょ?」と

そんなことをさらりと言いそうな毒親が目に浮かびます。

 

 

私自身も毒親のもとで育っていますが、

彼らにされたことに対し、それをした彼らの気持ちを理解してくはないです。

 

「子供を虐げたくなる気持ち」「八つ当たりする気持ち」

「ひどい言葉を投げつけた気持ち」「お腹を空かせて子供をほったらかしにする気持ち」

 

そんな気持ちは絶対に分かりたくないです。

 

 

その代わり、それをされた時、

私自身が「何をどう感じていたか」だけは忘れたくないし、

同じことを誰かにしたくないです。

 

 

親が子供にしてきたひどいことを

「親になればわかる」なんて言葉で片付けてほしくありません。

 

 

 

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彼女が天使でなくなる日 [ 寺地はるな ]

 

 

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