学校という空間が苦痛でしかなくて勉強に集中できなかったしポンコツだったけど、図書館などで1人で黙々と勉強するのは好きだったんだよ。

 

 

こんにちは。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

私のブログ記事の中で、

定期的にというか、総合アクセス上位の記事がありまして。

 

 

高校生の時に学校サボって図書館で勉強してた〜って記事なんですが。

 

 

この記事ね。

 

 

 

学校サボって図書館で勉強してたら

先生が迎えにきたってお話です。

 

まあ、学校と図書館が徒歩数分だったのでね。

 

 

 

この記事にアクセスがあるってことは需要があるってことなのかしら。

 

 

憶測ではあるのですが、

「学校」という空間は苦手だけど、

「勉強はしたい」って人は意外と多いのかしら。

 

 

私は集団行動とか集団教育がとてつもなく苦手でして。

 

1人で黙々と独学で勉強することが性に合っているんですよね。

 

 

集団とか人の目があると緊張してしまって集中できないし、

全く頭に入って来ないんですよ。

 

 

今も、たまに図書館とかカフェで執筆することがありますが、

「緊張感」を味わって、「執筆作業としての気分転換」をしているだけで、

 

連続してそういう環境で執筆すると、

緊張疲れしてしまいます。

 

 

私は「勉強が嫌い」なのではなく、

「学校という集団の中で勉強することが苦手」なのであって、

 

学ぶことは大好きなのです。

 

 

なので授業で習ったことのテストはできなくても

「全国共通テスト」は高得点を叩き出していました。

 

 

そのことを書いた記事はこちら。

 

 

 

現代では発達障害が周知されていて

私自身も障害があることもあって、

 

私みたいに「集団の中で、能力が発揮できない」というか

むしろ「ポンコツになる」ようなタイプでも

 

自分に合った学習法で勉強できるシステムができればいいな、と思います。 

 

 

学生時代の私は

「親に無理やり学校に連れて行かれていた」ことで

余計に精神的に参ってしまったので

 

学校云々のシステムよりも

「親が学校に行かない選択を認めること」や

他の学習方法を選ぶことを許してくれることが重要なのだと思います。

 

 

正直、学校に行かなくても勉強はできるし、

自分に合わない、むしろ「頑張れない場所」でストレスを抱えながら無理をするよりも

「頑張りたいと思える環境」「ストレスなく頑張れる環境」で

自分に合った方法で学ぶことが、正しいのだと思っています。

 

 

「学校でなくては勉強できない」というのは間違いです。

 

 

 

学校に行っていなくても、自分で努力さえすれば

「高卒認定試験」があるし

それさえパスすれば、大学入試にも挑戦できます。

 

 

持論にはなりますが、

子どもには「教育を受ける権利」があり、

親には「教育を受けさせる義務」があります。

 

しかし、「教育を受けさせるのが、決まった学校じゃないといけない」とは明記されていません。

 

 

算数や国語など基礎教育は大事だし

「勉強しなくていい」というのは間違いだと思っています。

 

基礎学力の定着は、大事です。

 

 

 

小学校時代から、いじめを受けたり

学校という空間で嫌な思いをたくさんしてきたこともあって、

 

大人になった今でも

「なんで、あんなしんどくて辛い場所にいて、それだけでも苦痛だったのに、そこで勉強も頑張らなくてはならなかったとか、地獄だわ」と思ってますし、

 

「学校に行かずに、独学とか家庭教師とか家で頑張ることができていたらよかったのかな」と思うこともあります。

 

 

 

次の雑記はこちら。

 

 

 

 

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