縁を切った親のことを「どうでもいい」と表現したことの説明。

 

こんにちは。

いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

この↓のツイートの反応が多かったので

少し解説(言い訳に聞こえるかも)していきたいと思います。

 

「いいね」やコメントが多かったのもあるのですが、

こちらの方が引用してくださったので

「説明が必要かな」と感じたので。

 

 

私はこのブログで毒親について語ることが多いですが。

いくつかの記事を書いています↓

毒親関連の記事は「苦しんで悩んでいる方達の参考になれば」と思い書いています。

実際、書くために思い出すのがしんどかったり、

フラッシュバックしたりで、たまにしか書いていないし

全部を書ききれていないので、中途半端で

親のことを「ぶっちゃけ、どうでもいい」と言った背景がブログだけでは分かりづらいかもしれません。

簡単な話をすれば、

金銭的、精神的にも被害を受けていて、

親のことも、家のこと、家族のことも「なんとかしなければ」と

頑張ってきたことに、疲れ果てて、

「このままでは、私の人生が破綻する」と結論が出たために親と縁を切りました。

その詳細な「理由書」を叩きつけて、

連絡がある時は「公的機関を通すこと」と伝えてあります。

私も親と縁を切る事に対して、公的機関の支援を受けていますし。

要するに「法的に虐待を認められている」という事です。

それを我慢して「この家をなんとかしなければ」と

自分を殺してまで頑張ることが嫌になってしまいました。

母親はギャンブル依存症、浮気する、専業主婦なのに家事はしないで遊び歩く、

父親はそれを見て見ぬふりして、全てを娘に押し付ける。

私がどんなに頑張っても、全てが搾取されて行きました。

そんな生活が続いて、生きる気力もなく、

「一生、親の奴隷でいいや」なんて思っていたところで、

主人と出会い、結婚して、

私が限界を迎えたとき、主人の助けを得て縁を切ったのです。

「奴隷のままでいい」と全てを諦めていたのに、

主人と出会って

「私は自分の幸せのために生きていいんだ」と気づいたために、

私の努力や頑張り、お金を

怒鳴り散らして搾取してきた親に対して、

今は「あいつらが、どうなっても、どうでもいい」という気持ちです。

正直、できるだけ長く生きて、苦しみ続ければいいとすら思っています。

そんな醜い感情を実の娘が抱くだけのことを、されてきました。

正直、この詳細を書くのは辛いので、小出しにしかできません。

それでもブログに書くのは、

「同じように苦しんでいる人が参考にしてくれたら」と思っているからです。

 

他人から見たら、

「親に対して、その言い方はなんだ」とか、

「あんたが弱いだけだ!」という人もいるでしょう。

実際に私も言われてきました。

だからこそ私は「親の奴隷でいいや」と思っていたのです。

それでも限界はあったし、

生きることが楽しいなんて思えませんでした。

難しい問題ではるし、

何が正しいのかは分かりません。

私に言えることは

「親と縁を切って関わりがない今に幸せを感じている」ということだけです。

前に書いた記事ではありますが、最近かなりのアクセスがあるものです。

毒親と縁を切ったら、生きることが楽しくなったのです。

 

全ての方に理解されるとは思っていませんが、

とにかく私は親と関わりがあることが本当に辛かったのです。

るい

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