毒親と縁を切った話 / 連載コラム

毒親と縁を切ったら、生きることが楽しくなったのです。

 

 こんにちは。
 いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 
 何度か、日々のブログで「毒親育ち」であり、「毒親から逃げた」というお話をさせていただいております。
 現在の私は「すべてを捨てて逃げて、0の状態からスタートさせた」ところから、徐々に生活が安定し、仕事も軌道に乗ってきたという状態です。
 
 以前ならば、自分が育った環境や毒親について連載コラムとして書いていると精神的に不調になったりしていたのですが、最近はそれも落ち着いてきたので連載コラムとして書くことに決めました。

 

 毒親から逃げたあとも、いろんな悩みや大変なこともありましたが、主人と2人で話し合いながら乗り越えてきましたし、乗り越えるたびに幸福度が増し、生活の安定度や収入も貯蓄額も上昇したのです。
 私が毒親から逃げた理由は、「金銭の搾取」が主な原因であり、「このままでは、私が生活できなくなってしまう」という恐怖です。これに関しては、少しずつお話していきます。
 
 「親を捨てる」という行為に対して罪悪感がなかったわけではありません。
 私の母は、家事もせず遊び歩き、ギャンブル依存で、妹の話によれば浮気もしていたようです。父は、そんな母を放置し、長女である私にすべてを押し付け、実家稼業、家事だけでなく、金銭的な援助などすべてのことを依存しようとしていました。
 妹は「家事も育児も放棄し、専業主婦のくせにギャンブルをし浮気もしている母が悪だ」と、私よりも先に家を出ていきましたし、「父が可哀そうだ」とも言っていました。けれど、私は一番の悪は父であると思っています。夜遅くまで遊び歩き、家事もしない家のお金を使い込む母をずっと放置してきたのは、父です。父が母を窘めたり、離婚という手段を取っていたのであれば、私も妹だけでなく、亡くなった祖父母、父自身もお金に苦労することはありませんでした。恐らくではありますが、結婚してから母が使い込んだお金は、何千万となるでしょう。
 父が放置してきた問題を、長女である私にすべて丸投げし、家計の見直し、母の生活改善などまったくする気もなく、「あとは、なんとかしてくれ」という態度を取られれば、たとえ血を分けた子どもであっても、憤りを感じます。
 
 その中でも、私が一番に腹を立てたのは「私の夫の収入を、自分のもののように考えている」ことです。
 主人は会社員で年収が「400万以上」あります。明確な言葉には出しませんでしたが、「このまま会社員をつづけながら、家業を手伝ってほしい」と言っていたので、明らかに主人の収入目当てです。
 結婚前に「○○(主人)は、俺の築いてきた財産を奪っていく」と言っていましたが、ずっと一緒に暮らしてきた私は心の中で「あなた築いてきた財産は、とうの昔のあなたの奥さんが使い込んでます。今残っているものは活用しなければ負の財産にしかならない土地家屋だけです。あなた(父)よりも、私のほうがお金を持っています。現実を見てください」と思いましたが、結婚のことで揉めたくもなかったので、口では「あー、大丈夫だよ~」と言っておきました。
 そのあと、すぐに主人と電話をして「聞いてよ~!父がこんなアホなこと言っててさ~(爆笑)」と、暫く笑い転げてました。

 

 私も諸悪の根源は、夜遅くまで遊び歩き、ギャンブル依存で浮気もしている母だと確信していますが、一番の悪はその母を放置して娘たち、祖父母に負担をかけ、みて見ぬふりをしてきた父なのです。
 
 私自身も幼少期からのストレスが原因で、精神疾患になる不登校や引きこもりを経験しました。その間、妹にもかなりの負担をかけたと思っています。ただ、何年かあとに妹と話をしたときに「お姉ちゃんは病気だから、仕方ないとは思っている」と言ってくれたことが、本当に救いでした。
 妹は、私よりずっと早く親を捨てて出て行ったので、妹に負担をかけてしまった自責の念もあり「このクソ親は、私が面倒みよう」、「妹には自由に暮らしてもらおう」と、最期まで親元に残るつもりでいました。
 
 とは言っても、最終的には親と縁を切って逃げています。
 それは、私が精神的に無理だったからです。結婚のあと最後の自由だと思い、2年間は実家を離れて暮らすことにしましたが、その生活がラクすぎて実家との関りを持つたびに、精神不調、嘔吐、拒食、過食を繰り返し、徘徊までするようになりました。最終的に親から電話で話したり、電話に出なくても着信があっただけで、家を飛び出して徘徊するようになってしまったのです。主人は当時のことを「本気でGPSを付けなければならないと考えた」と言っています。
 ちなみに実家から離れた生活が「ラクすぎる」というのは、お金を盗まれる心配がない、仕事の資料を破かれて捨てられることもない、人格否定の暴言を吐かれない、体調が悪いときは家事をしなくても怒鳴られないといったことです。ここに関しても、少しずつ記事にしていきます。

 

 「親を捨てる」という行為を完全に肯定するわけではありませんが、死にたくなるほどつらい場所からは、誰になにを言われようとも逃げてもいいのです。正直なところ、私は「親が困らないだけのお金を残して、死んでやろう」「そうすれば、私がいなくなっても誰も文句は言わない」「そうすれば、妹にも被害がいかないだろう」と本気で考えていました。
 私には妹がいますが、正直なところどんな人間なのかよく知りません。そこも、改めて書かせていただきます。
 
 
 この記事では、大まかなことを書いただけです。詳細は、これから書かせていただきます。

 

 親への最後の手紙には、親を捨てる理由を明確に論理的に「これ、裁判とかに使う資料なの?」と言うくらい細かく書き、「”るい”という人間を妊娠してから縁を切るまでに、”るいにかかった経費”を請求する場合は、請求明細書とともに公的機関に申し出てください。法的に認められればお支払いします」と書きました。
 そして、「親を捨てたことを、後悔する日が来るかもしれない。けれど、今のままでは私や支えてくれる主人との生活、人生すべてが破綻してしまう未来しか見えない。身勝手なこととは理解しているが、あなたたちと関りを持つことはできない」と締めました。
 
 その手紙(というか書類?)があったためなのか、1度だけ主人のところに父から「るいは、まだ怒っているのか?」と弱弱しい電話が来たそうですが、主人は「いや、怒っているとかいないとかの次元ではないですよ」と返したそうで、それ以来なんの連絡もきていません。
 
 今のところ、毒親と縁を切ったことを後悔していません。
 むしろ、人格否定されない、仕事の邪魔をされないなど、いいことしかありません。
 正直、「なにをしでかすか、予測ができない毒親」と認識しているので、ガードは厳重にしておりますし、なにかあっても即座に警察を呼ぶ手配も公的機関への支援も申請しています。あとは、いつでも引っ越しができる金銭も準備万端です。
 まあ、縁を切るときに渡した手紙と、リスクマネジメントをきっちりした対策のため被害などがまったくない状態です。はっきりと言えばそれだけのことをしなければならないほど、親からの被害に怯えているわけです。自分でも「生みの親を、どれだけ信用していないんだ」と呆れてしまいますが、そうさせるだけの被害を受けてきたということなのでしょう。

 

 今回の記事では、大まかなことを書かせていただきました。ここに書いたことだけでは、「親と縁を切るほどのことか?」と思われる方もいる思います。
 私が毒親と縁を切った話を記事にして、公開する理由は単純に言えば毒親に苦しんでいる人や、搾取され続けている人、死にたくなるくらい苦しんでいる人、毒親のせいで幸せになれないと感じている人に、「私はこんな経験をしたよ」「幸せになってもいいんだよ」「逃げてもいいんだよ」と伝えたいからです。
 「生みの親のことを悪く言うなんて」という方がいることも理解しています。しかし、そのことと「死にたくなるくらい苦しんでいる」ことは、まったく話が違います。私は毒親から逃げたことで、生きていることが楽しくなりました。作り笑顔がなくなりました。心から笑えるようになりました。悲しいときに涙を流せるようになりました。自分の幸せのために頑張れるようになりました。
 
 私の経験を書き記すことで、誰かの”なにか”のキッカケになってくれれば、それでいいのです。
 
泪-rui-

 

 

投稿者

rui@rui-world.net
主婦です。 気ままに活動しています。