同じ家に住んでいる人でも、好き嫌いや考え方すべてが違うのだということを理解したのが遅すぎた。

 

 
こんにちは、泪-rui-です。
 
 
私は人間とは、好きなものがたくさんあって、
 
同じくらいだけ嫌いなものもある生き物だと思っています。
 
 
そして、
 
好きなものも、嫌いなものも、人それぞれ違うのです。
 
 
多種多様の民族があって、文化も違うし、
 
文化のよって、好みもあるでしょう。
 
 
同じ文化圏の中でも、地域によって好みの違いもあります。
 
 
けれど、根本的に1人1人が違う人間なのですから、
 
同じ学校に通っていても、同じ家に住んでいても好みが違います。
 
 
私も主人と2人暮らしです。
 
彼とは、根本的な考え方も違うし、知識の方向性も違います。
 
ある1つの議題をもとに、討論会が開催されることが多いのですが、
 
かなり白熱したものになって、2人ともが納得する答えは絶対に出ません。
 
 
終着点は「まあ、そういう考え方もあるよね」とか、
 
「その考え方はわかるけど、自分は納得できない」となります。
 
 
ちなみに、これはケンカではありません。
 
ただの意見交換であり、白熱した討論会です。
 
 
誰かに聞かれていたら、ケンカだと思われるくらい白熱しているのでしょうが。
 
当人たちにとっては、お互いの見識を高めるために必要なことです。
 
 
同じ家に住んでいる夫婦でさえ、考え方も好みも別なのですから、
 
学校、会社、市町村、国の単位では、どれだけの違う考え方や好みを持った人間が暮らしているのか。
 
 
その意見をそれぞれ聞いて、1つに纏める立場にある人は本当に大変だなと思います。
 
全員の意見を聞き入れるわけにもいかない、
 
全員が暮らしやすい世の中にしなくてはいけない。
 
誰にも文句を言われないことをしなくてはいけない。
 
 
いくら考えても、すべてが叶う方法なんてありません。
 
 
「誰かが笑っていれば、誰かが泣いている」という言葉がありますが、
 
まさに、その通りなんです。
 
 
それと同じで、私が好きだと感じているものは、誰かが嫌いであることもある。
 
 
「私が好きなんだから、あなたも好きでしょ」なんてことはあり得ません。
 
 
協調性というのは、「私も好き」に対して、相手も好きになれと言っていることと同じです。
 
つまり、人の意見や意志を抑え込んで、
 
1人の人間の思い通りにしようとすることです。
 
 
私は昔から協調性がないと言われてきました。
 
ワガママであり、自分の思い通りにならないことが気に入らない、らしいです。
 
 
しかし、私自身はそう思っていません。
 
なぜなら、私が不満に感じ不機嫌になる理由は、
 
 
「私の意見に反対をせずに、相手が自分の意見を出さないこと」であり、
 
逆に自分の意見が簡単に通ってしまうことを不服としているのです。
 
 
主人に言わせれば、
 
私が理論立てて、全部説明するので
 
それに意見を返せるような人がいなかっただけのようです。
 
まあ、怒鳴り散らして意見をつぶす人は何人もいましたが。
 
 
怒鳴り散らす人は、言っていることの意味を理解できていないだけです。
 
もしくは、嫉妬や妬みから、意見を認めたくないだけですね。
 
 
私は自分のことを、かなりバカだと思っていましたし、
 
周りの人間は自分より知識を持っていて、賢いと信じ切っていましたので、
 
「これって、当たり前のことだよね?」という顔をしてしまって、
 
相手を不快にさせていたようですが。
 
 
これが、自己否定が習性になっている弊害です。
 
そして、協調性がないと言われる原因です。
 
 
私が思うに、協調性がないと言われているタイプは、
 
周囲の人より頭の回転が速かったり、知識を持っているとか賢いのだと思います。
 
ただ、それを自覚していないだけですね。
 
あとは、自己肯定感がかなり低いと思われます。
 
 
私は、周囲にいる人たちも私と同じくらいの思考スピードで、
 
同じように論理的に考えられるのだと信じ切っていたのです。
 
 
「馬鹿だ」と言われ続けてきたので、周りは自分よりすごいんだとか、
 
みんな、自分よりメチャクチャ多く稼いでいるんだと信じておりました。
 
自分が社会の最底辺にいるのだと思ってましたよ。
 
 
主人と出会って、「平均的」な物差しを知って、
 
「あれ。私って案外すごかったのか」と知ったのですが。
 
 
それに気づいたのは、
 
「人それぞれ、好きなものと嫌いなものが違う」
 
「得意なこと、苦手なことも違う」
 
「自分にできることが、誰かにできるとは限らない」ということを主人に叩き込まれました。
 
 
第三者である主人から見て、
 
毒である両親が私を「囲っていた」のは、眠っている才能を潰すためだったように感じるそうです。
 
 
なんというか、人生いろいろというところでしょうか。
 
 
もしあなたが「生きづらい」と感じているのであれば、
 
私の経験してきたことや、自己分析したことが、
 
なにかの役に立てばいいのですが…。
 
ご参考にしていただければ…くらいの気持ちで綴っております。
 
 
泪-rui-
 
 

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