まとめ 【家族の話】【毒親と縁を切った話】

 

こんにちは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
連載コラム【毒親】【家族の話】です。
 
 
今回は「家族の話〜まとめ〜」です。
 
 
改めて書いて見ても特殊な環境だったな〜と思います。
私も主人が諭してくれたので、自分が特殊な環境で育ったのだと理解しました。
 
親と縁を切る前は「これが普通なのだ」「どこにでもあることだ」と思っていたのですが、
実際、そんなことはありませんでしたね。
 
どこの親もいわゆる「腐ったみかん」だと思って、
「みんな、それでもなんとかやっているのだから、私も頑張らなくては」と、
なんとかしようと頑張っていたのです。
 
うん、そうだね。
我が家が特殊だったね。
 
 
縁を切るにあたって、市役所や裁判所、警察などに事情を説明しましたが、
市役所の精神保健師さんに「今まで、よく頑張ってきたね」と言われて、
めちゃくちゃ泣きました。
 
主人いわく、
私は背負っているものが大きすぎるらしいです。
 
それを「さも当然」の顔をして、
呑気に過ごしているように見せながら、裏で必死にもがいていました。
 
私が世間知らずというのもありますが、
同年代は、みんなこれくらいのことをなんのことなくしていて、
私ができないのがおかしいのだという、
ありえないくらいの自己肯定感の低さから、
 
「私は、まだまだダメ人間だ」と努力していたのです。
 
 
結婚して主人と一緒に暮らし始めたとき、
 
実家稼業と副業のwebライターの仕事量をみた主人が、
 
「この量を、フルタイムで介護の仕事をしながらやってたの!?」と驚愕していました。
 
正直、母親が横領した妹の学費分くらいは、
いつか妹に渡してあげようとも考えていたのですよ。
 
 
事前に家族のことは説明していたし、
交際時から家族の不穏な空気を感じていたこともあり、
 
「母親は家事も仕事もせずにお金を使い込んで遊びまわって」
「父親は、それを放逐して自分は外に働きにでて、金の使い方も知らない馬鹿で?事務や雑用、家事をあなたに押し付けて?」
「それをカバーするのに、なんであなたがここまでやるの?」と怒っておりました。
 
当時の私は極度に痩せ細っておりました。
人の2倍は食べるのに、みるみる痩せていくのです。
 
単純に言うと、
「家族だし、碌でもないけど私がなんとかしなきゃ」と思っていました。
 
 
縁を切るときに全ての公的機関に言われたのですが、
 
「そんな人たちのことを、あなたが背負う必要はない」そうです。
 
はっきりきっぱり言われました。
 
 
他の大人たちから、
「親になんて態度を取るんだ」「親の有り難みがわからないのか」「親を敬え」と叱られることがありましたが、
私から言わせれば、
「どこに有り難みを感じればいいのか?」
「どこを敬えばいいのか?」
「そこを具体的に教えてくれ」と言う感じです。
 
一度、親族に「親をなんだと思っている!?」とブチ切れられたので、
私もキレて上記の内容を伝えたら、
さらにキレられました。
 
私は産んでもらったことを感謝していません。
母いわく「赤ちゃんの時、あんたを殺そうとした」とのことで、
父いわく「殺されなかっただけ、ありがたいと思え」とのことなので、
私としては、殺してくれた方がありがたかったです。
 
今、幸せに暮らしていることは協力してくれた主人に感謝はしていますが、
生きていてよかったかと聞かれると、
「どっちでもいい」と答えます。
 
今は幸せだけど
両親から受けた虐待のフラッシュバッグが辛いし、
トラウマから体調を崩すことも多いです。
 
はっきりと言えば「生きづらい」のですよ。
 
だから今が幸せだとしても「どっちでもよかった」という答えになります。
 
いつか「生きていてよかった」と心から思える日が来るのかはわかりませんが、
今は「毎日が楽しいなぁ」と思っています。
 
 
るい
 

 

第1回から読まれる方はこちらです。

 

 

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