第3回 小学生の娘から「お前はもういらない、出ていけ」と言われる母親ってどうなの?【家族の話】【毒親と縁を切った話】

 
 

こんにちは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
連載コラム【毒親】【家族の話】です。
 
 
今回は「両親の話」をします。
 
 
私の両親は「なぜ結婚したのか」と疑いたくなるくらいに仲が悪かったです。
 
記憶の中の両親はいつも喧嘩をしています。
2人が楽しそうに話をしている記憶はありません。
 
母から「恋愛結婚」だと聞いていたのですが、
父や親族から話を聞くと孤児である母を預かっていた親族が、
働きもしない、碌でもない母の扱いに困って・・・。
 
「裕福で気の弱そうな男がいたから、無理矢理押し付けた」が正解です。
 
 
後に母は「親族が勝手に話をつけた」と言い、
父は「押しかけてきた」と言います。
 
これのどこが「恋愛結婚」なのかは分かりません。
 
 
私が今までに聞き及んだ情報から推測すると、
 
・愛情はない
・世間体を気にして離婚しなかった
 
ただ、それだけの関係です。
 
 
母は「嫁いできてやっただけ、有難いと思え」と周りに言っていると聞いたことがあります。
 
家のお金を使い込む、浮気をする、専業主婦なのに深夜帰りが当たり前、家事をしない、
そんな人間をいつまでも家に置いている父のことが信じられませんでした。
 
思えば小学校時代から「もう、お前は出ていけ」と娘に言われている母親です。
私は一通りの家事ができるのですが、
小学校時代から「この女は、不利益しかない。追い出さねば」という気持ちから、
「いなくなっても、問題なく生活できるように」とスキルを磨いていたのかもしれません。
 
 
母の何が嫌だったかというと、
 
「母がやらないから、代わりにやっている」
「なのに、文句を言ってくる」
「見るに見かねて私がやると、やりだして数日でやらなくなる」
「やるなら、やる。やらないなら、やらないではっきりしろ」というところです。
 
実際、洗濯や食事も困りますし、
掃除もしたいです。
 
小学生の時は、まだ母の文句や罵倒に怯えていたし、
嫌がらせに負けていました。
 
そんなことが続いて、
高校時代に心を壊してしまったのです。
 
そこから10年くらい、引きこもりニートでした。
(家業は手伝っていましたが)
 
社会復帰してからは嫌がらせに負けることなく、
バリバリ戦っていましたが、
心身ともに憔悴したことで、縁を切りました。

 

第4回はこちら

 

 

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