私が「好き」と「トキメキ」を最優先にして生きていくと決めた理由【平々凡々】

 

 

生きていく上で大切にしていることは、

「自分は何が好きなのか」です。

 

単純に言えば、

「何にときめきを感じるか」ということになります。

 

音楽、動画配信、書籍の朗読のサブスクの一覧をなんとなく眺めながら、

「なんか、これだな〜」と

直感(ときめき)を信じて、

それを見たり聞いたりするのです。

 

たまに行く図書館や本屋さんでも、

なんとなく棚を眺め歩いて、

「これだな=」と思ったものを読んだりします。

 

数年経って、その作品が映像化されたりすることが多いので、

私の「面白そう」という直感は当たるのかもしれません。

 

あとは、たまたま惹かれて読んだものが

「今の私に必要なことが書いてある」ことも多いので、

私には第六感があるのかもしれません。

 

好きになるものが流行のものであることもあるし、

そうでないこともあります。

 

流行っているから、トレンドだからという理由で、

それらを讃えることはありません。

 

「私が好き」であるものは、讃えます。

 

 

世間のことなど無視して

私が好きなものに囲まれて生きていたいのです。

 

 

それでも集団でいなくてはならず

協調性が強要される子供の頃は

それが許されていませんでした。

 

 

現在の私は人と関わることもなく、

主人を仕事に送り出してからは1人で仕事や家事、娯楽を楽しんでいます。

 

 

主人以外と関わることは、ほとんどありません。

 

この生活を送るようになってから

5年以上になりますが、

寂しいと感じたことがないのです。

 

 

一時期は、

「寂しいと思わないことは、人間としておかしいのではないか」と悩み、

かかりつけの心療内科医に相談したりしたのですが、

「それは、それでいいんじゃない?」と言われたので、

悩むことをやめました。

 

 

私は1人でいることが好きでもあるのですが、

どちらかというと、

「自分の時間を邪魔されるのが、嫌い」と言えます。

 

 

おそらくは幼少期からの環境がそうさせたのでしょう。

 

 

幼稚園の頃から、

1人で本を読んでいたら「みんなと外で遊べ」と強要され、

小学生時代からはずっと、

「友達と遊べ」と友人を作ることを強制されて、

「友達を作らなくてはいけないのだ」と思い込まされていました。

 

 

友人関係を築くためには、

自分の好きを押し殺して、周りに合わせなくてはなりません。

 

1人でいることが好きな私には苦痛でしかないので、

このストレスが原因で高校時代に心が限界を迎えました。

 

 

学校や親は人間関係の悩みが原因と思っていたようですが、

それ以前に「人と関わりを持つ」ということ自体ストレスで、

1人でいることが許されないが故に疲れ果てたことに誰も気づいていません。

 

正直、学校という集団教育よりも1人で黙々と勉強する方が合っています。

 

 

「私はこういう生き方がしたい」

「これが好きなんだ」

 

 

そんな気持ちを殺して、周りの大人の言う通りに、

望むようになるように無駄な努力をして

心を壊した経験があるからこそ、

 

心身が回復してからは、

自分の好きやトキメキを最優先にして生きることにしたのです。

 

 

そのおかげで実家の家業を手伝っていた時は

売り上げはどんどん上がっていくし、

個人でしていたブログ運営もうまくいっていました。

 

 

売上は上がっても遊び歩く母親に使い込まれ、

実力を周囲に認められていた娘に嫉妬した両親から嫌がらせを受け続け、

今度は心が壊れる前に、絶縁しました。

 

 

世間体を気にして

「周りと同じであること」を大切にして生きてきた2人には、

自分の好きを貫いて成功体験を積み重ね、

楽しく生きている自分の娘が憎くてたまらなかったのでしょう。

 

 

私にとっては、

自分を押し殺しすぎて心を壊した過去があるので

そんな親の言葉など聞くわけにはいきません。 

 

これが「自分の好きやトキメキを大事にして貫いていく生きていく」と決めた理由です。

 

 

好きを我慢して

周りに合わせて生きていくのは、もう疲れました。

 

 

 

 

次の「平々凡々」はこちら。

 

 

 

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