日々のこと。

「美しい」「かっこいい」の基準は人それぞれ違う。一生懸命な姿が美しいのだ。

 

こんにちは、泪-rui-です。
 
今日は「美しさとはなにか」についてお話します。
 
 
正直に言うと私は綺麗でも可愛いわけでもありません。
見た目だけで判断するならば、ブスと言ってもいいでしょう。
おしゃれでもなければ、美容に気を使っているわけでもないし、綺麗とか可愛いとはかけ離れていると自分でも思っています。
 
まあ、もとの顔がアレなので、そこらへんは諦めているのです。
 
とはいって、最低限のケアはしていますし見苦しくない程度には身だしなみも整えています。
お化粧や高いお金を出してまでのことはしていないというだけです。
 
 
学生の頃は顔のことが原因でいじめの対象になることもありました。
かといっても、私に意に介していなかったし興味もなく「なんだ、こいつら」くらいに思っていたので、直接のいじめ加害者に対してはなにも気にしていませんでした。
 
いじめを受ける中で一番つらかったことは、周りの大人たちが同級生たちと仲良くさせようとしてくることです。
本当に、それが一番つらかったです。
 
馴染めないことは、明らめていたので1人でいることを選びたかったのに周りの大人たちが許してはくれないことがストレスでしたね。
 
 
一番の原因は「見た目」なのだと思います。
そんな私でも結婚して幸せに暮らしています。
 
 
そんなこともあって、私は「美しさとはなにか」を、よく考えます。
 
 
私は見た目としては美しくないし可愛くもないです。
けれど、その代わり「自分なりのポリシー」は確立しています。
 
三十路を過ぎても、新しいことへの学びをやめません。
常に新しいことに目を向けます。
情報収集も怠りません。
 
自分を高めることに対しては、常に努力を続けています。
 
 
ただ、それが見た目や美容に関しての努力へは向かないだけです。
 
 
私は「恋人にしたい」ではなく「結婚したい」タイプの女なのです。
よく「おまえは、商売人の嫁になるのがいい」と言われました。
 
結局は商売人の嫁にはなっていませんが、在宅ワークをしながら主婦業をして主人が気持ちよく働けるように勤めているので、似たようなものですね。
 
 
主人は、「家で待っていてくれる人」を求めていて、
私は、「家事を一手に引き受けてもいいから、在宅で仕事をしたい」と思っていたので、お互いにちょうどいいのです。
 
 
主人が私との結婚を決めた理由は、「なにがあっても、なんとかできそうな気がする」らしいです。
私が結婚を決めた理由は「私に自由を与えてくれる気がする」です。
 
 
なんといいますか…。
主人は私が常に学び続けている姿や、一生懸命なところを見初めてくれたのです。
それを「美しい」と感じたそうです。
 
 
「恋人にしたい」と思う人と、「結婚したい」と思う人が違うというのは男女ともにあると思いますが、主人と私はお互いに「結婚」「パートナー」として選んだ相手ということです。
 
私だって主人に対して不満があります。
主人だって、私に不満があるでしょう。
 
それを含めて「お互いに協力し合って生きていける」と確信しているので「いい関係」でいられるのです。
 
 
周りにどう評価されていようと私は主人を「美しい」と感じています。
 
私にとって彼は「美しい存在」なのです。
自己解釈でしかありませんし、私の物差しでしかないのですが、夫婦とかパートナーにはそれでいいと考えています。
 
 
完璧なんてありえません。
いいところも、悪いところもあります。
 
それも含めて相手のことを「美しい」と思えるのであればいいのです。
 
 
汗だくで帰ってくることも「暑い中で、一生懸命働いてくれたんだな」と感謝しかありません。
昼間からいびきをかいて熟睡していることも、「残業が多かったからな」「疲れているから、放置しておこう」と労わりたくなります。
 
汗だく、泥だらけになっていても、そうなった理由が「家族のために働いている」と理解できているから、それを美しいと思えるのです。
 
 
結局は「美しい」っていうのは、なにかの目的のために頑張っている姿なのだと思います。
 
 
泪-rui-
 
 

泪-rui-

主婦です。

気ままに活動しています。

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