日々のこと。

心配性になってしまうのは自分も他人も信じることができないからである。

 

こんにちは、るいです。

今回は「心配症」 についてお話ししたいと考えています。

私自身かなりの心配性で、 自分でも どうしようもないなと思うことが度々あります。

以前、心配するということは信用していないことだと言われました。

相手を信用していないから 心配になってしまうというのです。

それを聞いた時「 確かにそうかもしれない」と感じました。

相手を信用していれば心配することはないのです。

あの人は信用できないから何かやらかすかもしれない、 信用できないから自分が何とかしなければいけないと思うからこそ 心配性になってしまうのです。

そしてそれは自分自身の事も信用していないとも言えます。

相手の事も自分の事も信用することができないから不安になってしまいますし心配にもなるのです。

信用していないからこそ人に対して恐怖を感じるとも言えますね。

それが極度の心配性となって現れてしまうのです。

私自身幼い頃から 虐待に近い待遇を受けてきました。

自分の意見や意思は認められず親の言いなり先生のいいなりで生きてきたのです。

「本当はこうしたいのに」

「 それは違うと言いたいのに」

「 こんなことしたくないのに」

「 どうして私がこんな目に遭わなくてはいけないの」

「 私がどうなれば 親やみんなは私を認めてくれるの」

そんな感情を抱きながら生きてきた私にとって、 人を信じる信用するというのは難しいことだったのかもしれません。

そのやり方では絶対に失敗するとわかっていても、 自分の考えを周りが認めることはなく 結果として私の思っていた通り失敗に終わるなんてこともたくさんありました。

それでも私は 主人に出会うまで私自身を否定されて生きてきたのです。

そんな中で私も自分の事を否定する人間になってしまいました。

だからこそ私は他人のことも自分のことも信用できない人間になってしまい、極度の心配性になってしまったのです。

自分を信じてくれる人や 好きだと言ってくれる人がいても、私はその人を信用することができませんでした。

「 みんな私を支える人間利用できる人間だと思っているから私を必要としているんだ」

「 私が使えない人間になって役立たずになったら誰も私を必要としないんだ」

そんな思いを抱きながら私は様々な知識を得て様々な勉強をして自分の能力を高めていたのです。

私に知識があったり情報量が多い努力することを惜しまないことの 根源には人を信用できないという気持ちがあります。

それゆえに努力を惜しまないようになったと言っても過言ではありません。

常に何か勉強をしていないと落ち着かない、本を読んでいなければ落ち着かない、 休むことに抵抗があるなど、

今考えると少しおかしかったのかもしれないですね。

自分がいらない存在にならないために スキルを高める 努力を惜しまなかったので、 主人と出会って一緒に暮らし始めてから私を認めてくれる主人に対して不信感がありました。

この人は私を利用するだけ利用して 捨ててしまうのではないか、 優しくするのは何か裏があるのではないかと 疑っていたことも事実です。

それでも主人は私の生い立ちや 気持ちを分かってくれていたので、 私がそれに気付くまで 好きなことに邁進できるまで待っていてくれました。

私の心配症は未だに治ることはありません。

以前よりは 少なくなったとは言えます。

他人も自分も信用ができないから 心配性になってしまうと 理解してから 自分でも色々考えました。

主人と一緒にいることで私は自分を見つめ直し「 本当の私はこういう人間なんだ」「 それでいいんだ」 と思えるようになったので、 自分の時間を大切にして好きなことをできるようになったのです。

今私は カクヨムで「 孤独とは」 という考察連載をしています。

このようなテーマで考察を書けるようになったということも自分に自信がついてきたことの証拠だと私は感じています。

まだまだ迷うことも多いですし悩むこともたくさんあります。

それでも悩むということは自分を成長させたいと心が叫んでいる証拠なので、 悩んで迷って 結論を出して私なりの人生を歩みたいです。

自分に自信を持つことができれば 他人や自分を信じることも心配症に 悩ませることもなくなるのでしょうね。

るい

泪-rui-

主婦です。

気ままに活動しています。

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