生きるというのは死ぬまで学び続けるって言う事なんですよね。

 

こんにちは、るいです。

今日は感情のデトックスについてお話ししようと思ってます。

私はいつも考えをまとめる時にシャーペンとノートを使って 手書きで 思考をまとめています。

私は家があまり得意ではなく正直に言うとかなり下手な部類に入るのです。

昔から字を上手に書けとか丁寧に書けということを言われてきたので思考をまとめる時にも丁寧に書くように心がけてきました。

なのですが。

最近やっと私は気づきました。

メモを取る時は 思考をまとめている時に字を書くのが苦手なのに丁寧に書こうとか綺麗に書こうとすると自分自身が考えているスピードとメモをとるスピードが合わなくて思考が滞ってしまうんです。

私自身も頭の回転がそれなりに速いという自負はしているんですけれども、 手書きで書くことによって自分の思考をまとめられるというのは知識としてわかっていたのでそれを実践はしていたんです。

それと合わせて字を丁寧に書く誰にでも読めるように書くというのも頭には置いてそれを実践していたんです。

けれど丁寧に書くと書くメモを取るスピードがかなり遅くなってしまうので自分の頭の中で考えていることとかなりの時差が生じてしまって 手書きでメモを取ることに全く意味がなくなってしまうということに気づきました。

今更ながら驚きの発見です。

これまでも字が下手なことを馬鹿にされたりとかしてきたらのでたとえ自分しか見ないメモであっても丁寧に書こうとか思ってやってきたんですけど、 それが自分の思考を邪魔してるって事にやっと気付きました。

今更という感じですが、ある種の周りからの洗脳に近かったのかななんて思ってします。

確かに字が下手だったり他の人から読めないくらいに下手だったら本来ならば直さなければいけないんですけど、 私が仕事としていることはインターネット上のブログを書くことであり 手書きで何かを発信することではないんです。

一時期は視力や目の関係で手書きのものをアップしていた時期もありましたが、 今は音声入力という方法を 学んだので特に字を丁寧に書く誰にも読めるように書くと言う必要は特にはないんです。

もちろん字が綺麗なことや 自分以外 でも読める字を書くということはとても大事なことだとは理解しています。

けれどそれによって本来のブログを書くとかそういうことにししょうやそのペースが遅くなってしまうことには全く関係がないんですよ。

字を上手に書くとか人に見られても平気な字を書くというのは下書きがラフを作る時には必要がないですよね。

自分だけが分かればいいし、 後で音声入力を使って文字に入力文字に直すので 自分だけしか見えないラフや下書きは他の人が読めなくても問題はありません。

私は結構意固地と言うか周りに流されやすい部分があったのでたとえ自分しか見ないものでも他人から見てもわかるような気にしなければいけないという思い込みがあったんです。

おそらくラフや下書きを書くときに丁寧に書こうとかそういうふうに考えてしまっていたからブログを書くことがお疲れてしまったりとかしてたのかもしれません。

それに時間を取られなければ他の事もたくさんできるし疲れたってなることもありませんよね。

正直なところ何で今までそれに気づかなかったんだろうという恥ずかしい気持ちはあります。

でも、気づいて本当に良かったです。

今までブログとか執筆がはかどる時と全く分からない時があって。

それはつまり下書きやラフや思考をまとめる時に丁寧に書こうと時間をかけているからこそを疲労してしまっていたのかもしれません。

普段から執筆や色々していますし、 学生の頃から執筆は続けていますが スマホやパソコンもどんどん進化していますし いろんな執筆の方法があるということも理解はしていますが、 皆さんがとっくに知っていることでも私が気づかなかったとここととか知らないことっていうのは本当にたくさんあります。

いつ気付くのかというのは人それぞれだと思いますから恥ずかしいことではないです。

人より気づくのが遅くなっても私は気づけたからそれで良かったです。

もう私も30を過ぎた おばさんですけど まだまだ学ぶことや知るべきこと 知らないことってたくさんあるんだなと。

生きるって事は死ぬまで学び続けることなんですよね。

るい

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