認識と家庭環境の違いから友人に「酷い女」だと思われました。

 
こんにちは。
 
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
 
今回は「高校時代のコミケ思い出」のお話です。
 
 
とある冬コミのことですが、
前日から泊まりで行っておりまして。
 
夕方に父から電話がありました。
 
施設に入っているそう祖母が入院したので、長くは持たないという内容で、
「帰宅したら、様子を見に行くから連れて行け」と返答したのです。
 
 
翌日、普通にコミケをエンジョイしていて、
ふと携帯電話を確認すると父からの大量の着信履歴がありました。
 
当時のコミケは携帯なんて繋がりませんので、
(人混みなのでね〜)
 
「これは、ばあちゃんに何かあったな」と察して、
公衆電話を探して、父に連絡しました。
 
案の定、曽祖母が亡くなったとのことで、
 
確認したところ
「お前は、予定通りの時刻に帰ってこい」とのことでした。
 
 
もともとその日の夜に地元駅に着く予定で、
父に迎えを頼んでいたし、
「早く帰ってこられても迎えに行けないから」が理由です。
 
田舎に住んでいたので、駅から車で40分かかるんです。
荷物も多いのでね。
 
 
当時、高校生だったのですが、
自分と周りの同年代の「葬儀に関する感覚」が全く違ったようなのです。
 
 
とりあえず一緒にコミケに行っていた友人に、
「ばあちゃんが亡くなったって」と報告すると、
友人たちは「帰らなくていいの!?」と大騒ぎです。
 
私は「迎えも夜まで無理らしいし、今帰ってもこき使われるだけだからいいよ」とアッサリしております。
 
 
我が家が自営業で本家の長女であり、
私自身も跡取りだったし、
 
あとは、母が「役に立たない」「何もしない」「むしろ邪魔」な人だったので、
 
そういう場面では必ず長女である私が引っ張り出されて、
接待や台所に入って、親族や近所の方の指示を受けて働いていたのです。
 
 
「葬式か〜。また忙しくなるわ〜」くらいの気持ちです。
 
むしろ帰宅が遅いことにより、
「一番忙しい時にいないのは、楽だな」とすら思っています。
 
葬儀は家族は初めの準備と終わったあとが忙しいだけで、
それ以外は、接待がメインですからね〜。
 
曽祖母に関しては享年97歳であり、施設に入っていたこともあり、
かなり前から覚悟はしておりました。
 
私の中でお葬式と言うのは「ひたすらに忙しい」ものであり、
故人との別れを悲しむのは、葬儀が終わって自宅を片付けて、
いろんな公的手続きが完了したあとです。
 
今思うと、
それを理解して受け入れている高校生が珍しいのだと思います。
 
まあ、高齢で施設に入っていて、
「もう長くない」と受け入れる心の準備ができていたからというのもあります。
 
 
とにかく、この一件で、友人から「酷い女」と思われました。
 
  
この話を主人にしたところ、
 
「学生の頃にでる葬式なんて、普通はただ座ってるだけだよ」とのことでした。
 
 
認識の違いから生まれた友人との亀裂ですね。
 
 
ちなみに、コミケを満喫して深夜0時に帰宅したところ、
 
叔母から
 
「あんたがいないから、めっちゃ大変だったのよ!!」と言われて、
 
従兄弟からは、「コミケだろ?」と揶揄われ、
 
再び叔母から、
 
「あんたは明日に備えてもう寝なさい!」と言われ、

従兄弟には「買ってきたもの読むなよ。読み耽って寝ないだろうから、ここに置いていけ」とダメ押しされました。
 
 
さらに葬儀のあと、
 
「あんたがたまたま東京に遊びに行ってたのは仕方ないとしても」
「〇〇ちゃん(母)は本当にダメだわ〜」
「あんたがいないと、本当に困る」と愚痴られました。
 
 
30歳を超えた今だからこそ、本気で言わせていただきます。
 
「この時、私は高校生だぞ!?」
 
 
自分のことは昔から「老け顔」と自覚はしているけれど、
いろんな面で老け込んでいたのですね〜。
 
そりゃ同年代と考えが合わないわけですわ。
 
 
るい
 

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