美味しいものは「貰うのが当たり前」だった昔と違い、今は「美味しいものは自分で探して自分で買う!」を謳歌してます。
こんにちは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
現在は違うのですが、
私は「この人は、いい人だ!」と判断する基準がありました。
ものすごく単純で「美味しいものをくれる人は、いい人」だと本能的に信じていましたね。
主人も私のことを「餌付けした」と言っているくらいです。
まあ、これだけで「いい人だ」と判断しているわけではないし、
直感的に「この人、嫌だ」と思ったら、食べ物をもらっても警戒しています。
良く考えて見ると、
私が「この人は、いい人だ」と懐くと、
なぜかその人から美味しいものをもらうようになるのが、正解なのかもしれません。
そんなに食い意地があるように見られていたんですかね〜。
「美味しいものをくれる人は、いい人」を基準にしていた私に対して、
「お前は、馬鹿なのか」という人は多かったですが、
主人は「自分なりの基準を持っているのは、いいことだ」と認めてくれました。
とは言っても、それは私自身に「人を見極める能力が備わっている」ことが大前提であって、
「この人、嫌だ!」と感じると、食べ物に釣られるようなことはありません。
もちろん、美味しくいただきますが、塩対応です。
要するに、私が「いい人だ」と認定することによって、
めっちゃ懐くので、それが嬉しくて美味しいものを持ってきてくれるようになります。
縁を切った実家に届く贈り物も「〇〇ちゃん(私)が好きそうだったから」というものが大半を占めるようになりました。
それが原因で、親の嫉妬や妬み、嫌がらせが加速したという事実はありますが、
縁を切って生活もメンタルも落ち着いた今は「お前ら(親)に魅力がないからだろ」と思っております。
(当時は、私が悪いんだ。もっと頑張らなくてはと思っていた)
(そして、さらに知識やスキルを身につけて親から嫉妬されるスパイラルでした)
私は知識に貪欲であり、考え方が独特なので、
いろんな方が相談してきたり、おしゃべりをしにきてくれていたんですよ。
そこには地元企業の経営者や政治家なども混じっていたので、
親は、それが気に入らなかったんだと思います。
親からの嫌がらせに耐えられなくなって、全て捨てたのでもう関係ない話ですけどね。
今は、30代にして余生を謳歌している気持ちで、マイペースに仕事しています。
実家にいた頃は、いろんな美味しいものを頂いて、
自分で買う必要がなかったので有り難かったです。
いつの間にか「貰うのが、当然」になっていて、
「それ、食べたことあるけど、お店の名前は知らない」
「へぇ、そんな人気店なんだ」
「え?それって、そんな高いの?」といった感じになってしまい、
「あんた、本当に食べたことあるの?」と疑われたこともありました。
今は「美味しいものは、自分で見つけて自分で買う!」という生活が楽しくて仕方ないです。
その楽しさを教えてくれたのは、紛れもない主人です。
るい