心療内科の診断書を「一応、見ておくか」と思って拝見したら眠れなくなりました。


 
こんにちは。
 
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
 
先日、必要があったので心療内科で診断書をいただいてきました。
 
念のためにと内容を確認したのですが、
めっちゃ後悔しました。
 
色々考え過ぎて、眠れなくなったのです。
(現在、深夜2時)
 
 
正直なところ、診断書の内容に特に問題はなく、
「あー、確かにそうだわ〜」と納得はしているので、病院側に文句を言う必要はありません。
 
ただ、納得していない部分がありまして。
 
それは、私が心療内科にかかる前の経歴について、めっちゃ訂正したいのです。
 
恐らく、高校生のときにドクターが母から聞いたことだと思いますが、
個人的見解では「本当、私のことわかってねぇよな。クソババァ」という感じです。
 
 
まず、診断書に書かれたいたことで「違うよ」と突っ込みたいのは、
 
①自〇を仄めかす行動は中1の頃から
②引きこもり傾向が出たのは、中3の頃から
③中3から服装が派手になった
④高2の頃、異様に母親に甘えるような時期があった

この4点です。
 
まず①について訂正していきます。
 
この行動は、幼稚園時代からありました。
紐で首を○めたりとか日常的にしていた記憶があるので、
その行為を親が認識したのが中1だっただけのことです。
 
(まあ、充分にやばいけど)
 
私、気管が弱いんですけど、これが原因じゃなのかな?と勝手に思ってます。
 
 
次に②について。
 
これも幼稚園時代からありました。
1人で勝手に遊戯室の一角にある図書コーナーで読書をしてしまうので、遊戯室に鍵をかけられました。
小学生の頃には長期休みになると、寝室にこもってゴロゴロしてました。
 
もともと1人でいることを好むタイプだったのですが、
超ど田舎で、クラスに15人ほどしかいなかったのもあり、
親を含む周りの大人から「友達と仲良くしなさい」「一緒に遊びなさい」の圧が強くて、
逆らえずに、「大人の言うことに嫌々従っていただけ」です。
恐らく、これも大きなストレスになっておりました。
 
そうでなかったら高校卒業と同時に携帯の電話帳を一括削除なんてしません。
現在の人と関わらない生活を「幸せだ〜」と満喫できるはずがありません。
 
 
続いて③について。
 
服装が派手になったのではなく、
単に「親の趣味から外れただけ」だと思います。
 
中学時代はパーカーとか、ジャージ、ジーンズくらいしか着た記憶がないです。
 
昔から「自分や養われの身である」と思っている節があって
親が買ってきたものとか(キャラクターもの、ババくさい安物)
親が「これ、いいんじゃない?」と進めてきたもの(全く趣味じゃない)
母親の手作り(ド下手で、クソダサい)を着ていました。
 
その理由は、養われている身であることと、
「着てやらないと可哀想」「喜んであげないと可哀想」という気持ちからであって、
それらが好きなわけではなく、ただの同情心でした。
 
中学3年生にもなれば、自分の好きな服を選んで着たくもなりますわよ。
 
 
そして④について。
 
高校2年の頃「母親に異様に甘える時期があった」ことについてですが。
 
はっきり言いますが、これは「押してダメなら引いてみろ作戦」でした。
 
 
母親は「毒親」なのですが、
掃除も料理もしない、寝てるか遊びに出掛けているかの期間がめっちゃ多くて。
あと自営業だったのですが、家業のことを何もしないと言う最悪の女です。
父曰く「金だけ欲しい女」とのことです。
 
高校時代、ど田舎に住んでいたために通学に往復4時間かかっていたのですが、
休みの日は家業を手伝い、暇も見つけては掃除、洗濯、料理をしていたのは、
紛れもなく、私です。
 
祖父母とは食事時間が違ったのですが、
母が祖父母の食事も作ることになっていまして。
 
作らないので、祖母が台所を使おうとすると暴れる母親のせいで、
祖父母の食事が、近所の食料品店で買ってきたお惣菜ばかりだったことで
私が祖母に「私が作るから、2度と惣菜を買ってくんな!」「あんなクソ女は無視しろ!」とブチ切れまして。
 
そしたら祖父が毒母にブチ切れまして。
しばらくはちゃんとご飯を作るのですが、またやらなくなるのがいつものパターンです。
 
私が家事をすることで母からの嫌がらせや暴言が増えてくるのもあって、イライラしていたのを覚えています。
高校がお弁当だったのですが、母が作らなくなりコンビニで買ってもお金はもらえないし、
自分で作ろうにも妨害されていたのですよ。
 
母が初診でドクターに告げた「異様に甘えた時期」と言うのは、
 
私が「進学クラスで勉強も大変だし、通学4時間もかかるし、家業や家事やるの限界ある」と肉体的に限界を感じて、
(実際、授業内容が主になる学内テスト成績が最下位レベルまで下がってました)
(外部の全国模試は高得点でしたよ〜。一部の先生にめっちゃ嫌われてたよ〜)
 
「母を煽てて、褒めちぎって、母を好きなふりをして、なんとか家事をやらせよう」
「馬鹿だから、騙されるだろ」と考え、
 
「押してダメなら、引いてみろ作戦」を決行していた時期のことだと思うのです。
 
 
結局は心の底から大嫌いな母親に媚を売ることにもイライラして、
かなりのストレスになっていたので、すぐに辞めましたが。
 
 
その結果、「もう疲れた」が限界突破して、自○未遂に至り、心療内科に通うようになったわけです。
ちなみに、未遂が発覚し母と話し合いをしたとき「あんたが小さいとき、あんたを○そうとしたことがある」と言われたことで、
「ああ、私はやっぱり必要がなかったんだ」とショックを受けましたし、今でもこの言葉に苦しんではいますが
聞いた瞬間には「だから私は潜在的に母が嫌いなんだ」と妙に納得しました。
 
 
診断書のこの点に関して、次の診察のときに訂正すべきかどうか、めっちゃ悩んでいます。
それに伴い、あれこれフラッシュバッグしてしまって眠れぬ夜を過ごしております。
 
主人には「どっちでもいいんじゃない?」と言われたのですが、
ふと「あれ?もしかして私の診断って根本的な部分で間違ってないか?」とも感じました。
 
 
これは通院を始めた高校時代から 
「私が未遂した原因は、学校とか友達関係ではなくて、親と家庭問題が原因なんだけど?」と思いながらも、
 
「未成年だし、養われの身だからな」と放置していたのを今更ながらに思い出したのです。
 
 
親と縁を切っていて、特に支障もないし、訂正した方がいいのかなぁ。
 
 
ちなみに主人からは、
「そんな状態になるなら、診断書なんて見なきゃよかったじゃん。ってか、見るなよ」と呆れられました。
 
 
るい
 

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