はっきりと言わせてください。「自由人」と「ヤンキー」は別物です。


 
こんにちは。
 
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
 
自分の見た目についてため息をつきたくなる時があります。
 
ほとんどの方が私の見た目に関して「元ヤン」と言うのですが、
私はヤンキーだったわけではありません。
 
悪いことをしたことはないし、
ずっと真面目に生きてきた自信があります。
 
「自由とは法とルールを守ったことを前提に成立する」が、
昔からのモットーです。
 
家事スキルも高く、料理にも自信があるし、
努力家でもあるし、稼ぐための勉強もたくさんしているし、
読書も好きだし、他者から「そんな難しいの読むの?」と言われるくらいの本も読みます。
資格もそれなりに持っていますし、ほとんど一発で取得しています。
 
なぜ「元ヤン」「スケバン」言われてしまうのかずっと悩んでいたのですが。
 
結婚してから理解できました。
 
私は毒親、独家庭で育っていて、
幼い頃から気を張って生きてきました。
 
中学生くらいになると、
「こいつらに期待しても仕方ない、私がなんとかしなくては」という気持ちになり、
実家稼業も手伝い、専業主婦なのに家事をしない母親に「やる気がないなら、何もするな」と叱りつけ、
自ら家事をして、祖父母に暴言を吐く母親を怒鳴りつけていました。
 
母親からの嫌がらせにも「ああ?」と応戦して、
そんな状況でも、勉強もして必要な時だけ優秀な成績を収めていました。
(受験に必要ない校内テストは点数が悪かったです)
 
それに加えて、実家稼業に関する知識も勉強していて
振り返ってみると、かなり無理をしていたのだと思います。
 
高校生の時に心が完全に潰れました。
 
 
というか、
幼い頃からそんな状況で生活していれば顔つきも目つきも鋭くなるのは当然なのでしょう。
 
私は法を犯すことはしていないし、
不良だったわけではないけれど、
家庭内でずっと戦っていたのです。
 
 
まあ、そんなことを人に説明する必要はないので、
「ヤンキーではなかったよ。自由人なだけだよ」と言うことにしています。
 
と言うか家庭内で戦っていたし、
毒親達に問題がありまくりだったので
周りと同じことをしていたら、生きて行くことができないと思ったのでしょう。
 
他人のことなど気にしていたら、
私が生きていけないと本能で感じ取ったのかもしれません。
 
例えばですが。
  
資格試験会場で規定時間が過ぎた瞬間に手を上げて、
一番に会場を出て行く女です。
 
日商簿記を受けた時は、私以外は誰も途中退場しなかったので、
「みんな、真面目だなぁ」と思いました。
そして、私は当然のように受かったので問題はありません。
 
高校受験の時も、規定時間が過ぎた瞬間に退出したんですが、
私以外、誰も出てきませんでした。
もちろん、合格しました。
 
終わったのに、うだうだ考えている時間が無駄でしかないと思っているからですね。
試験管の目を気にしたり、
周りに合わせてずっと座っているなんて、時間の無駄でしかないのです。
 
これで不合格だったら問題なのですが、
合格しているので。
 
事前にしっかり勉強しているし
見直しもバッチリしているので、それでいいのです。
 
(よく“地頭がいいからだよ“とは言われますが)
 
そして、やりたくない、無駄だと思ったことは絶対にやりません。
 
こう言うところが自由人だと自分でも思っています。
 
はっきりと言わせていただきますが、
「自由人」と「ヤンキー」は全くの別物です。
 
 
るい

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