第10回 充実した引きこもりライフを送っている現時点のまとめ。【引きこもりライフを手に入れるまで】

 

こんにちは。

いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

連載コラム「孤独とは」です。

今回は「引きこもりライフを手に入れるまで」をテーマに全10回に分けて語らせていただきます。

 

全10回に分けて連載して来ましたが、最後のまとめです。

 

幼い頃から1人でいることが好きなのに、

周りの大人たちから「他者と関わること」を強制されていたこともあり、

その反動で、今の「引きこもりライフ」を満喫しているのだと自己分析しています。

 

この生活を続けて数年経ちますが、

今のところ「人と関わりたい」という感情は湧いて来ません。

 

早朝ウォーキングで知らない人と挨拶しあったり、コンビニの店員との事務的な会話だけで満足というか、

むしろ「それくらいがちょうどいい」と感じています。

 

賃貸の集合住宅に住んでいて、

朝、数人の女性たちが集まって楽しそうに会話しているところを見ても、

「毎日、大変だなぁ」「絶対に巻き込まれたくないなぁ」という気持ちしか湧いて来ません。

私が人と関わっていた頃も、「それが仕事の一環」であり、

仕事と思わないと人と関わることができなかった私にとって、

今の「引きこもりワーク」である私には人と関わる必要がないのです。

 

人と関わっている頃によく思っていたのは、

「なんで、仕事に関係ないのにこんな集団のお喋りに参加させられているのか」です。

 

世間話であっても、「ブログのネタになる」「人間研究の材料になる」と思うようにしていたのですが、

毎回、似たような話で飽き飽きしていました。

 

仕事の一環としか思っていない私に対して、

周りは「あの子は、人好き」と思っていたようです。

男性の話の方がブログのネタになることが多かったので、「男好き」と勘違いされたりもしました。

世界規模で起きたことが、街の一企業にどう反映されたのかとか考えるのが好きだったのです。

 

親を含める周りの人たちに大きな勘違いをされていましたが、

度を越した人嫌いであることを見抜いて受け入れてくれる男性と出会い、結婚しました。

 

「人を好きになるために、もう頑張らなくていいよ」と言ってくれた主人には本当に感謝しています。

簡単に言えば、度を越した人嫌いの女と、並の人嫌いの男が結婚した感じです。

 

現代は、マイノリティであっても「受け入れる姿勢を作ろう」という世の中ですので、

私みたいなのでも、生きていくことができます。

まあ、「あの人、家から出てこないけどなんなんだろう」といった視線を感じることは多々ありますし、

「引きこもり支援」のようなチラシが入っていることもあります。

 

生き方はそれぞれですし、

引きこもりであっても、ちゃんと稼いで、税金を払って、生きていくことができればいいのです。

 

今のところは、寂しいとか人と関わりたいという感情はありませんが、

いつかは人と関わりたいと思うようになるのかなぁ、というか思わないとダメな気がすると思っているところです。

主人いわく「そう思っている時点で、思うようになることはない」とのことですが。

 

まあ、現時点で「引きこもり生活」を満喫している私が感じているのは、こんな感じです。

 

るい

 

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