「できないこと」を避けて「できること」を集めて工夫することも大変。生きていくことが楽な人なんでいないのです。

 

こんにちは。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

いや~。

引越の荷物運びがまだ片付いていなくて…。

持ってきていないのは、収納の棚が5つだけなのですが…。

棚の中身は少しずつスーツケースなどに入れて持ってきたので、本当に「棚だけがない」という状態です。

そりゃあ、収納する棚がなければ、物をしまう場所がないので新居が散らかるわけですよ。

 

なぜ、そんな状況になったか…と言いますと。

一番の原因は、私が運転できないことですかね。

主人も仕事があるし、なぜか機械トラブルが多くて残業もあって。

私も「いいよ、いいよ。まだ時間はあるから。余裕があるときに持ってくればいいよ」と言ってしまうので、なかなか整わないのが現状です。

 

私が運転出来れば、1人でササっと取りに行けるのですが…。

免許は持っていても、目と耳に難があるので主人に運転を禁止されたのです。

というか、医者にも「う~ん、本当は運転しないでほしいな」と言われているのを独身時代は運転していたのですが、私の運転を見て危うさを感じ取った主人が「もう運転するな」と結婚したときに禁止したのです。

「今まで、大きな事故を起こさなかったのがおかしい」と言われました。

 

単純に言えば、目に難があるので距離感(車間距離とか、車両の幅)がつかめなかったり、右左折時に視野が狭いために確認不足になってしまうのです。

独身時代も夜の運転は絶対にしなかったし、運転後の疲労は半端なかったですけどね。

耳は、体調によって遠くの音がすぐ近くに聞こえたり、その逆もあるので自分でも信用してません。

 

ハッキリ言いますが、「免許を取得できたことが、奇跡」だと自分でも思っています。

(余談ですが、私の免許取得にも”権力のある大人(毒親含む)の狡さ”があるので、担当医に反対されていたのに疾患に理解のない周りの大人に無理やり取得させられた私はとても後ろめたいのです)

  

そんなわけで、旧アパートにある5つの棚をいまだに持ってこれない状況が続いています。

まあ、節約のために業者を頼まなかったというのもありますが…。

 

運転ができたら、もっと早く片付いたはずなのに…という罪悪感があるのです。

まあ、自分の体だし、先天性のものでもあるので受け入れてはいますが…それに対して悩みがないわけではありません。

「できたらいいのに」と強く思います。

自分にできることを精いっぱいやる、できることを駆使して生きていくことを信条にしていますが、それでも「運転出来たら、もっといろんなことができるのに」と悔しい気持ちにもなります。

 

 

正直なところ、私だって「時給でお給料を貰える仕事」をしたいと思っています。

主人の扶養に入って、パートをしながらブログ収入も得るというのが理想です。

それでも、どんなに気を付けていても体調が崩れてしまうことが多いし、運転もできないとなると難しいのです。

独身時代は会社員をしていましたが、当時は異常な量を食べているのに、身体はどんどんやせ細っていきました。

そんな状態だったので、私の体を心配してくれた主人とスピード婚したのです。(出会って1年未満)

 

まあ、なにが言いたいかというと。

いろんな理由でできないことも多いし、無理にしているとさらに体に支障をきたすから自分に合った働き方や生き方をするのがベストなんだけど…。

それでも、「できないこと」を避けて「できること」を集めて工夫することも大変だし、「できること」を仕事にしていてもフリーランスとして給与を得る形になるので、それはそれで大変です。

 

まあ、会社員のときも大変だったけど、今はフリーランスとして収入に落差はあるけど体は楽になったというところでしょうかね。まあ、自分がどっちを選ぶかというだけです。

 

まとめると、「生きていく、生き続けていくってのは、老若男女や職種に関係なく、みんな大変」なのです。

泪-rui-