「毒親」に育てられた私は自己犠牲の塊みたいになってしまって「自分の思うように生きるぞ!」と決めても、なかなかできない。

 

 こんにちは。いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 今回は「毒親」についてお話させていただきます。
 
 私の両親は所謂「毒親」です。様々な書籍やネット記事に書かれているのですが「毒親」とされている人たちには、なにかしらの障害や病気があることが多いとされています。実際に私の両親もそうでした。とはいっても正式に診断がされてはいません。私は高校時代に「統合失調症」と診断されており、恐らくではありますが「発達障害」もあると思っています。妹も恐らくは同じなのですが、彼女は通院もしておらず診断も下っていません。妹は母曰く「赤ちゃんのときは殆ど泣かなかった」らしいですし、幼少期に指をくわえるというチック症がありましたので、おそらく発達障害があると推察しています。私は高校時代に自殺未遂をしたので学校からの勧めで心療内科を受診し通院と投薬を始めました。もちろん今も通院を続けています。妹も高校時代に学校から「診断してはどうか」と打診があったのですが、私のように「やらかして」はいなかったので母親がうまいこと言って診断させませんでした。私は結婚してから公的機関に相談したり支援していただいたりして毒親と縁を切っていますが、相談員や保健士さんからも「恐らくは3人とも統合失調症や発達障害があるだろう」とのことでした。私は親のことを「まとも」だとは思っていませんでした。それでも「親の面倒を見るのは子どもの勤め」であると考えていました。妹は私よりも早く親と縁を切って出て行ったので「妹には自由に生きてもらいたい」と私が「毒親を最後まで面倒みる」という気持ちでいたのです。それでも精神的にはきつかったですし「お金さえ残せば、私って必要ないよね」と毒親から逃げるための資金を必死に貯めていました。そんな自己犠牲の塊であった私を救ってくれたのが、主人だったのです。
 主人も私の親を「おかしい」と言っていました。主人曰く「俺は、あなたと結婚するのであって、あなたの親と結婚するわけではない」とのことです。なので私の親から私のことをどんなに否定されても、貶されても「この人たちは、娘の幸せを邪魔してるんだな」と思い、「なんとか助けないと」と思ってくれたみたいです。主人曰く「あなたの親は、あなたのことを奴隷としか思っていない」とのことで、私自身もそのことに気付かないフリをしてきましたが主人の言葉で目が覚めたのです。なぜフルタイムで働いている私が家事もせずに遊んでばかりの母親の代わりに家事をして、それを放置している父親の仕事まで手伝わなくてはいけないのか腹が立ってきましたし、私のことも主人のことも「金づる」としか思っていないのが見え見えでした。結婚したときには妹とも疎遠になっていたのですが、結婚したときに手紙を書いて親戚に渡してもらったのですが、主人のところに電話があり開口一番に「よくあんなのと結婚しましたね!」と罵ってきたらしく「この妹も姉の幸せをぶち壊そうとしてくるのだな」と主人も呆れたそうです。
 「毒親」と「その子ども」は、なにかしらの障害を持っているのですが私の中では「個々の障害の特徴によって、主従関係ができてしまう」と考えています。私の場合は親と妹が「主」であり、私が「従」です。親は「子どもを育ててやっている」という強みがあり、妹は学力が高く国公立大学に通っていて優秀な成績を収めていたために「姉より偉い」という強みがあります。(発達障害や統合失調症は、なにかに特化していることが多く妹の場合は勉強に特化していたようです)私は高校も不登校で、ひきこもりニートであったという負い目があったので自分が犠牲になってでも役に立たなければという自己犠牲の気持ちが大きかったので、そこから主従関係が生まれてしまいました。しかし、これも福祉課の相談員や保健士に言わせると「いや、負い目に感じる必要はまったくない」と明言されました。これが障害があるがゆえに「思い込み」というものでしょう。私はどちらかというと「創作・アート」方面に特化しているタイプのようなので、妹のように目に見える結果ではなかったので蔑まれていたのでしょう。親からひたすらに否定されて育ってきたのですが、今は主人から「好きなことしていいよ」と言われてはいますが親に否定されすぎて「自己否定」の感情が邪魔をしていろいろできずにおりますが、それでも好きなことをさせてもらってます。
 毒親は、自分が毒親である自覚はありませんし、自分に障害があることも子どもに障害があることも認めようとしません。そして、何事に対しても「自分は正しい」と思い込んでいて、子どもだけではなく周りの意見も聞こうとしません。なんでも「自分は悪くない!」の一点張りです。謝ることもしませんし、子どもを自分の奴隷だと思い込んでいます。私が毒親と縁を切るときは主人が話をつけにいきましたが、まったく話にならず「それを読んでくれれば、それでいいです」と私が書いた「手紙」というか「絶縁理由書」を置いてきただけだそうです。その半年後に主人のところに親から電話がありましたが「まだ、怒っているのか」と弱弱しく言ってきただけで「謝りたい」とかそういう言葉は一切なかったそうです。私としても謝ってほしいわけではありません。もうすでに謝るとか許すとかいう次元ではないのです。というか謝られても「いや、これまでも何度も同じことを話しても無駄だったよね。それが縁を切られたから謝られても、それになんの意味があるの?あなたたちは、あれが正しいと思ってやってきたんだから、自分がなんで謝るのかわかってないでしょ?」という気持ちにしかなりません。私は統合失調症と診断され、投薬で身体と心(脳)の働きを安定させているので家族の中では、ある意味で「まとも」だったのかもしれません。思い返してみても親と妹が私にだけでなく誰かに対して「ごめんなさい」と「ありがとう」を言っているところを見た記憶がありません。私は「全部、私が悪い」と思ってしまうタイプで、他3人は「私は絶対に悪くない」というタイプです。なにかしたの障害を持っていても、思考や特化した能力はそれぞれです。ゆえに障害を持った毒親と子どもという家庭内では「いろいろなことが、起こる」し、奴隷のように扱われても「仕方ない」と思ってしまう子もいるのです。私はたまたま主人と出会って逃げ出すことができましたが、今も毒親に植え付けれれた自己犠牲の感情は消えていません。フラッシュバックもあります。
 まあ、なにが言いたいかというと毒親、毒家庭でも統合失調症や発達障害を持った親や子の場合だと「なにに特化しているタイプなのか」によって、いろいろ難しいと言うことです。変にずる賢かったり、学校の成績だけは異様によかったりとか、子どもを自己否定の塊みたいに育てたりとか、いろいろあるってお話です。
 
泪-rui-