世の中のすべてを知っている人は存在しないのだから自分が知らないことを「教えて」というのは恥ずかしいことではない。②

 

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 私がフリーランスを目指すことを決めたときにポリシーにしたことがあります。それは「自分に起こるすべてのことを糧にしてやる」というものです。いいことも悪いことも、嫌なことも、そのすべてを自分自身の成長の糧にするということです。どんなに恥ずかしい思いをしても、人からバカにされても、そのすべてを糧として成長し稼いでやるという信念をもって生きてきました。あとは「プライドがないことが、私のプライド」と自分に言い聞かせていますし、赤ちゃんから80歳のご年配の方など老若男女。貧富も関係なく、すべてが私になにかを与えてくれる先生であり、なにかを学ぶことができるとも考えています。
 そんな考え方をしているからなのか、誰に関わらず「知らないから教えて」と言えるようになりました。私もオバサンですから今の若者文化や学校生活のことは知らないですし、小中学生や高校生からも学ぶことは多いのです。大人だからって世の中のすべてを知っているわけではないですし、知らないことは知っている人から教えてもらえばいいだけです。世の中に起こるすべてのことを知っている人など、絶対にいません。
 嫉妬や妬みに感情から「こんな奴に自分が劣っているなんて思われたくない」と、知っているふりをしていても自分のためにはなりません。私に言わせれば、そういう人こそ「恥ずかしい人」なのです。自分が「知らない」ということを理解して、知っている人に恥ずかしがらずに「教えて」と言えることこそが、一番かっこいいことなのではないでしょうか。はっきりと言えば、知ったふりをして適当に会話をされるより、「なにそれ、詳しく教えてよ」と言われたほうが話は盛り上がりますし、聞く側も新しい知識を得ることができますし、話す側も人に話すことで頭を整理できて、質問してもらえれば新しい思考が生まれ、違った考え方が生まれてきます。お互いにメリットがあるのです。
 「知らないこと」は「知らない」と割り切って、「教えてくれ!」と言ってしまえば気持ちも楽になりますし、聞いたもの勝ちです。「聞くのはタダ」でお金はかからないですからね。
 
泪-rui-

 

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