世の中のすべてを知っている人は存在しないのだから自分が知らないことを「教えて」というのは恥ずかしいことではない。①

 

 こんにちは。いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 今回は「無知の知」について、お話させていただきます。
 
 少し前に「無知の知」という言葉がテレビで頻繁に聞かれましたよね。私も当時はこの言葉を知らなくてテレビで聞いたときに「なるほど」と思ったものです。「無知の知」とは「知らないということを知ろう」という意味で、単純に言うと「知らないことは恥ずかしいことではない」ということでしょうか。私自身も昔は「知ったかぶり」をしてしまうことが多くありました。知らないことを恥ずかしいことだと感じていたのですね。会話の内容を理解していないのに、知ったような素振りをして会話をしていたものです。しかし、フリーランスを目指すと決めたときから知ったかぶりをやめて、わからないことや知らないことは恥ずかしがらずに聞くようにしたのです。私はうつ病で「ひきこもりニート」の期間が10年くらいあったので、知らないことが多いのは当然のことなのです。有難いことに私の周りには「社会に出ない期間が長くても、今から頑張ればいいじゃん」と言ってくださる方が多く、恥ずかしいという気持ちを殺して1度「わからないから、教えて」と言ったことにより、次からはなんの気後れもせずに質問できるようになりました。
 今では「ひきこもりニート」だった過去は恥ずかしいことではなく、「今、努力をしていないこと」が恥ずかしいことなのだろ考えています。正直に言うと、ひきこもりやニートを経験せずに順調に社会で働いている人でも、30歳でも50歳でも勉強をしていなかったり向上しようとしない人のほうが、恥ずかしい人だと考えるようになりました。今では「ひきこもりニート」であった期間は私に必要な時間だっただけで、今の勉強や読書、自分を向上させようと頑張っている自分のことが好きです。というか、ひきこもりニートの期間がなかったら、今の私はいません。ゆえに私はニートであったことを平気で口に出します。だからこそ、自分が知らないことを恥ずかしがらずに質問することができるのです。

 

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