結婚を決めた理由と、毒親と縁を切るときに蘇った主人の言葉


 
こんにちは。
 
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
 
今回は、主人と結婚を決めた理由などをお話ししようと思います。
 
 
彼と2回目に会った時、カマをかけてみたのです。
 
「あなたは、性善説と性悪説、どっちを信じる?」
「私は性善説かな」
 
実際、私は性善説など微塵も信じてはいないのですが、
まあ、カマをかけているので、そこは目を瞑ってください。
 
 
彼は「性善説」「性悪説」という言葉を知らなかったので、
軽く説明をすると、こう答えました。
 
 
「性悪説だね。性善説なんて、ただの幻想だよ」
 
 
そこで私は「彼となら、うまくいく気がする」と思いました。
 
 
彼は、続けて「歯車」の話をしてくれました。
 
 
社会の中で、自分は「社会の中で1人の人間は、替えのきく、ただの歯車という部品でしかない」というお話しです。
 
大体こんな感じの内容です。
 
ーーーーー
 
総理大臣でも、大統領でもいくらでも替えがきく、
社長が退任しても、会社は別の人が回していく。
誰か1人がいなくなっても、組織としては全く問題がない。
どんな地位についている人間であっても、替えがきく。
俺が会社を辞めても、俺の代わりなんていくらでもいる。
「俺にしかできない」なんてことは、絶対にあり得ない。
 
それでも俺は目の前にある与えられたことを精一杯やっていくしかない。
俺は給料をもらうために、そうしているだけだ。
 
ーーーーー
 
この話を聞いた時、
「この人と、結婚したい」と本気で思いました。
 
というか、この話で彼に落ちました。
 
 
私自身も彼と出会う前から、
「目の前にあることを精一杯やっていくしかない」という気持ちで生きていたので、
彼に共感したのです。
 
同じ考え方を持っているのもあって、
人生のパートナーとして一緒に歩んでいきたいと強く思いました。
 
「お互いの意見を尊重しながら、お互いを利用し、利用される関係」というのが正しいかもしれません。
 
そんなわけで、出会って7ヶ月で結婚しましたが、
出会って6年、意見をぶつけ合って白熱した話し合い(議論)をすることはあっても、
喧嘩をしたことはありません。
 
もちろん不満に思うこともありますが、
違う人間同士なので、それは「お互い様」です。
 
そう言ったことも含めて、きちんと話し合いができる関係でいられることが、
私にとって最高に幸せなのです。
 

主人は勤めている会社で管理職をしており、たまに他の方から話を聞くと会社からも重宝されているらしいのです。
 
私個人の意見と、親と縁を切る前に繋がっていたあらゆる企業のトップや幹部、
年収が億を稼ぐトレーダーさんなど、(全て実家繋がり)
いわゆる「経営者側」の方達からも、主人は「見込みがある」と気にいられていました。
 
まあ、毒親、毒家庭、毒親族、過疎化の進む田舎地域で、
バリバリ仕事をして、収益を上げていて、
我も強く、気も強く、向上心の塊みたいな私と結婚した時点(私が選んだ男というだけで)
そう言った方達から興味を持たれていたわけですが。
 
まあ、親と縁を切った時点で、
それまでの経歴も人脈も全て捨てて、ゼロから再スタートさせた女ですし、
主人も「いんじゃね?」くらいの感じでした。
 
実際、期待されていたのも結果を出していたのは私と主人であり、
それに嫉妬していた毒親達からのアレコレが私のメンタルを破壊したので、
ゼロから再スタートになんの躊躇いもなかったです。
 
というか、全部が実家と繋がっている人脈だったので、
ゼロからスタートするしか道がなかったというのが本音ですね。
 
実際、主人の会社の幹部役員が実家を手伝っているときに私が繋がっていた方の親族で
接触しようとすれば、できるのに何もないので、

「みんな、私が大変な思いをしていたのわかってたんだなぁ」
「私を毒親から自由にさせてくれるってことなのかなぁ」と思ってます。
 
この方は家族ぐるみの付き合いで、
私が利用していた駅の近くに事務所があって
外出先で母親と揉めて車を追い出されて、泣きながら駆け込んだ過去があります。
 
奥さんにも何度か泣きついたことがあったりします。
 
 
仕事はできるし、知識欲があり、向上心もあり、
それを仕事に応用する力を持っているのに、
毒親に妨害されて心を病みながらも、前を向いて頑張っていた私が選んだ男にたくさんの方が期待してくれていたのですが、
 
ごめんなさい。
 
 
幼少期から溜め込んだ負の感情とストレスや憎悪など、
彼と出会うまでは心の奥に押し込んで、
なんでもないように笑うことができていましたが、
 
彼と一緒に暮らしていくうちに、心に押し込めることができなくなりました。
 
彼と出会って、私は泣くことができるようになりました。
「辛い」と言えるようになりました。
 
嬉しいときに笑えるようになりました。
怒ることができるようになりました。
 
嫌なことを「嫌だ」と言えるようになりました。
 
 
だから、私も私を産んだ人たちと関わることは二度とありません。
 
 
1人の人間は「替のきく歯車」なのだから、
こんなに苦しい思いをして、感情を押し込めてまで、
どんな感情でもニコニコと笑顔を張り付けて、
醜い感情を抱き続けてまで、
あの場所に拘る必要はないのです。
 
 
るい
 

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