第7回 母は自身の発達障害を受け入れようとしなかった。【家族の話】【毒親と縁を切った話】

 

こんにちは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
連載コラム【毒親】【家族の話】です。
 
 
今回は「母」についてお話しします。
 
 
実は母のことをよく知りません。
父や親族から聞いた話や、噂しか知らないので、
どこまでが真実なのかは不明ですが、
碌な生き方をしていないのは確かです。
 
 
母の生まれた家系は昔の豪族だったらしく、
地域の土地のほとんどを所有していたそうです。
 
しかし、田舎でもあったので、
近い血縁同士の婚姻が多く、脳に疾患を持った人間が多くいます。
 
現代医学では、今まで精神障害とされてきたものは、
遺伝やストレスによる「脳の疾患」とされているそうです。
 
会ったことはないですが、
祖父は、アルコール依存症から肝臓癌で死亡しており、
祖母は、統合失調症で精神科に入院していたそうです。
(今とは違い、昭和初期の統合失調症患者は基本的に隔離です)
 
そんなわけで、母と兄弟たちは孤児院に入っていたこともあり、
その後、親族に引き取られ雑用係としてこき使われます。
 
母は、裕福で頭も悪く気が弱い父に押し付けられ結婚しました。
 
こちらも会ったことはないですが、
母の兄は同じく精神病棟に入院中。
弟は浮浪者をしているらしいです。
後の兄弟は消息不明です。
 
 
このように、統合失調症というよりは「発達障害」の遺伝子が刻まれています。
 
私自身も発達障害と統合失調症があり、
通院して投薬して、それなりの日常生活を送っております。
 
私の父方も祖父がシベリア抑留経験者で働くことができないくらいになっていましたし、
祖母の家系は有力な武家だったのですが、
祖母の父が罪を犯したことにより没落し、
祖母が生まれた頃には貧乏で村八分になっていて大きなストレスを抱えていたでしょう。
そのことを考えても、
 
「私の発達障害って、サラブレットじゃん(笑)」と思っている次第です。
 
 
私は自身の障害を受け入れて、
統合失調症や発達障害についてかなり勉強しました。
 
以前参加した「統合失調症フォーラム」で、
 
「自身の疾患と特徴を学んで理解して対応していくことが大事」と教えられたので、
ひたすらに向き合って生きてきました。
 
 
母の話に戻しますが、
 
母、その親族と私の何が違うのかというと、
 
自身の疾患を受け入れているかどうかです。
 
 
受け入れずに「私は正しい」「間違っているのはお前だ」と言って、
「嫁いできてやっただけ有難いと思え」といばり散らして
家のことを何もせずお金を使い込むのが母です。
 
正直、私が心療内科に通えているのは奇跡で、
高校時代に色々やらかして学校から行けと言われたからで、
 
同じく発達障害であろう妹は絶対に連れていきませんでした。
妹も幼い頃にチック症があったりしたので、
それも説明したのですが、私が「ふざけるな!」と怒鳴られて終わりました。
(ちなみに私も幼少期にチック症がありました)
 
これが勉強しているかどうか、
受け入れているかどうかの違いだと思っています。
 
私は自分の疾患を受け入れて、
疾患の知識を身につけて、
通院してドクターに相談して、
しっかり投薬して、うまく生きていこうと努力しています。
 
たまに暴走することもありますが、
周りには「あんた、そういう病気には見えないよ」と言われていました。
 
それは私の努力の賜物です。

 

第8回はこちらです。

 

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