孤独な時間を好むなら、それに合った生き方、働き方をすればいいだけ。

 

 私は、昔から人と関わることが苦手というよりも、嫌いだった。
 理由は、好きなことをする時間を奪われるからとしか言いようがない。読書や勉強、仕事に関しても、人間関係、友人関係というものは私にとって有益とは言えなかった。
 
 高校時代から、友人とあまり連絡を取らないタイプで周りからはかなり浮いた存在だった。私が高校生くらいから携帯電話が普及し始めて高校生の殆どが持つようになった。当時はメールでのやりとりが主流だったが、本質は今のLINEと変わらない。昔も今も、学校外でのやりとりがあることが前提とされた友人関係なのだ。
 

 

 当時はパケット通信の使い放題というものはなく、メールの送受信だけでもパケット料金がかかった。友人とのメールが面倒だった私は「使いすぎると親に怒られる」「養われている身だから」と言って、殆どメールをしなかった。
 実際は私自身が面倒に感じていて親を言い訳に使っただけだ。友人たちもそれに気づいていたとは思うが、私にとっては都合がよかった。学生時代は周りの大人たちから「人と関わること」を強要されていたが、私自身が面倒に感じてメールのやりとりなどもしていなかったので良好な関係が築けるわけがないのだ。大人になった今でも「なんと無意味で面倒なのだ」と感じてしまう。

 

 社会人になってからも平気で携帯電話の電源を切っていた。基本的には夜7時以降は電源を落とすようにしていたのだ。休日も電源を切っていることが殆どだったので、私への連絡は平日の昼間しか取れない。そんな状況が長く続いたのですが、ブラック企業に勤め始めたときに「それじゃ困る」と言われたので、電源を入れておくようになった。
 携帯電話の電源を切ることで、人との関りを断ってストレスを軽減していた私にとっては、かなりしんどかった。24時間365日、仕事だけならずプライベートな連絡が来るのだ。たまに電源を切ると着信履歴と苦情の連絡がある。おかげで私はストレス過多になった。スマホからガラケーに戻したこともあったくらいだ。
 
 今はいろんなことがあって、誰とも連絡を取っていないし、電話がかかってくることもない状態だ。初めの頃は「誰とも関りがない」ことを素直に喜んでいたが、次第に「人と関わらないことを幸せと感じる私がおかしいのではないか…」と悩みだし、それが長く続いた。今は「私が幸せだからいいのよ」と思って生きている。

 

 誰にも邪魔されることもなく、否定されることもなく好きなことをして、仕事もしている。こうやって文章を書くことができているのも、私が孤独ライフを満喫しているからだ。
 思えば、人と関りを持っているときは、大量のLINE通知に無視していれば電話が来て、いきなり家に来られて長時間居座られ…など、仕事の時間を奪われてきた。在宅ワークという概念を理解しようよしない人たちだったので仕方ないけれど、こっちは「仕事」なのだから。
 
 ある意味では、私がしている仕事は「孤独である」ことが最低条件なのだ。孤独の中で、どれだけ努力することができるか、なのだ。本やネットから情報を仕入れ、思考を重ね、文字を書く。それは、1人でなければできないことだ。
 私は基本的に自宅の作業部屋で仕事をしているが、カフェやファミレスに行くこともある。そこには私と同じように「1人で」なにかの作業をしている人がいて「仲間か…」「負けてられないぜ」と思い、「私も頑張ろう」と、勝手にパワーを貰う場所なのです。

 

 幼少期から学生時代の自分を思い返してみても、誰かとなにかをすることには向いておらず、孤独になにかをすることが合っていたようです。そういう生き方や働き方を認めてくれる大人が近くにいたら、もっと早く幸せになれていたのかな、と。
 しかし、初めて認めてくれたのが結婚相手であり、家から出ないことも容認してくれる旦那なので、結果としてはよかったのかなと思う。
 
 
 生き方、働き方はいろいろあるんだよ。
 自分に合ったものを、見つければいい。

 

泪-rui-