幼少期から人と関わることを強要されてきた結果「孤独って最高!」と感じています。

 

 私は1人でいることが好きだ。
 正直に言えば、幼いころから孤独を愛していた。
 
 幼稚園の頃から1人で本を読んでいることが好きだったし、小中学校の頃も本当は1人でいたかった。けれど、周りにいる大人たちが1人でいることを許してはくれなかったのだ。友だちと遊ばない、むしろ友だちを作ろうとしない私は、学校でも問題視されていた。
 
 「友だちを作らなければならない」と言われてしまったので、素直な私はそれを信じてい舞ったのだ。だから、友だちを作るために努力した。特に欲しいとは思っていなかったけれど、大人たちが作れというので、それが正しいことだと思っていた。けれど、仲良くしたいと思っていない私には友だちができなかったし、いじめの対象にもなった。
 友だちが欲しいとも思っていない、いじめの対象にもなっているのに、大人たちは友だちを作れと言うのだ。1人でいるほうがラクなのに、くだらない「仲良しごっこ」に付き合うのも嫌なのに、それでも「友だちはいいものだ」と教え込まれた。

 

 私が「つらい」「苦しい」と感じていたことは、友だちができないことではない。「必要がない」と感じている「友だち」というものを、大人たちに無理やり作らされることだった。かといって、本当に友だちを不必要と思っているわけではない。ただ「私が1人で好きなことをしている時間」を「邪魔しない」のであれば、人と関わることも友人を作ることも嫌ではないのだ。
 
 本を読んでいれば「根暗」だとバカにする。
 休み時間に勉強をしていれば、邪魔をしてくる。
 眠っていれば、わざわざ起こしてくる。
 1人で行けばいいのにトイレに誘ってくる、私が行くとついてくる。
 放課後の誘いを断れば、悪口を言われる。
 メールを返さなければ、非難される。
 電話で相手をすれば意味もなく長時間の拘束をされる。
 
 それらを拒否すれば、無視やいじめの対象となる。
 
 そんな友人が、私の人生において本当に必要なのだろうか。

 

 こんなことを考えながら小学校、中学校を過ぎ、高校生活の半ばで私は生きることに疲れてしまった。そして、不登校になった。親や学校は「クラスで馴染めないことが原因」と思っていたようだが、実際は「人との関りが煩わしい」けれど、「友人を作らないと、大人たちがうるさい」から無理して人間関係を築こうとしたが、それに疲れ果てただけだ。
 実際、高校を卒業した時点で携帯電話のアドレス帳は全削除した。それで困ることがなにもないし、連絡を取りたいとは思わなかった。現在の私も「友だちがいない」が、困ることはなにもない。
 
 もちろん、SNSで知り合った方とのコミュニケーションはある。しかし、所詮はSNSなので「即返信」などの束縛はないし、実際の知合いでもないので長電話に付き合わされることもない。たとえ無視されたとしても実害は特にない。誹謗中傷というものもあるが、SNSでの被害は証拠が残るので特に問題もないのだ。被害届を出して、弁護士を雇えばいいだけ。
 私は、それくらいのコミュニケーションで「丁度いい」ようだ。
 
 人生は選ぶことができる。
 今の私は「孤独であること」を選んで生きている。
 
 この生き方が、正しいかはわからないが、間違っているとも言い切れない。
 正直に言えば、生活が成り立っているので問題はない。

 

 ただ言えるのは、「孤独が好き」な私を受け入れて尊重してくれる人に出会ったことが人生の分岐点だったように思う。大事なのは、「人と関わること」ではなく、「生きていくために稼いで、生活を成り立たせること」だ。生活ができていなかったら、孤独であることも家から出ないことも問題だが、生活ができていれば問題ではない。
 
 私の場合は、幼少期から周りの大人たちに「人と関わること」を強要されてきたために、大人になってからの反動で「孤独って最高!」となってしまったのだ。
 今は「人それぞれに合った生き方がある」、「私はこれでいい」と思っているし、楽しく暮らしています。
 
 ただ一つ感じていることは、「反動って怖い」ということでしょうかね。

 

泪-rui-