脅迫や恫喝するしかできないのは、知識のなさと弱さの証拠です。①

 

 こんにちは。いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 今回は「誰かを脅す行為」についてお話させていただきます。
 
 ニュースを見ていると「脅迫」という言葉を観ることが多くあります。政治家などに脅迫状を送ったり、爆破予告があったりと様々な脅迫行為があります。他者を脅迫することは犯罪です。それが政治家でも一般人でも誰に対してもしてはいけないことです。全国各地の大学に爆破予告を送って世間を騒がせた事件もありました。市役所に爆破予告を送る行為は呆れるほどに多いですよね。結局は爆破されることはなく、予告だけしている愉快犯だったという結果に終わるのですが、迷惑極まりないことには変わりありません。
 なぜ「実際にはなにもしない」のに、世間を騒がせたり不安を与える行為をしてしまうのでしょうか。慌てふためく人たちを見て楽しんでいるという見方もできますが、私は「正々堂々と立ち向かうことができない」からだと考えています。
 私は毒家庭育ちであり、よく親に怒鳴られたり恫喝されることが多々ありました。怒鳴られた理由は今でもわかりません。毒親と縁を切った今、よく思い出してみると「娘に敵わないと感じたときに、恫喝することで怖がらせていたのではないか」という答えに辿り着きました。私は論理的に原理原則の思考をもとに原因を明らかにして対応を決めていくタイプなのですが、親は私のことをバカと思っていたし役立たずのすねかじり娘を周りに言っていたので、娘に諭されることが耐えられなかったし反論するだけの知恵も持っていなかったのです。私としては判りやすく順序だててプレゼンするように話をしていたのですが、同じレベルで話をするだけの知識と考察力を持ち合わせていなかったのです。ゆえに、怒鳴り散らして私を制するしかありませんでした。
 つまりは相手を脅すことは「その人に敵わないから、怖がらせて黙らせる」ということでしかありません。正々堂々と対等に話をするだけの知識や知恵、思考力が備わっていないだけです。あとは、「知らないことを認めることができない」という意味もないプライドの塊なのでしょう。単純に言えば「人を脅すことでしか相手を黙らせることができない」のは、弱い人なのです。爆破予告をして世間を騒がせる人たちも、正々堂々と相手と対話することができずに、脅すことしかできない弱い人たちだと考えています。根本的に誰かを脅す行為は「犯罪」なので、逮捕されてしまうんですけどね。
 私が生きること、仕事をすることで常に頭に置いていることは「正攻法が、成功法」という言葉です。

 

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