友達はいないが、同志はいる。 【オリジナル小説】【短編】
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オリジナル小説です。
※この作品は、フィクションです。
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友達はいないが、同志はいる。
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友達が欲しいと思ったことはない。
けれど、友達を作らなければならない、と思い込んでいた。
私の親は、私に友達を作ろうと必死だった。
だけど、私自身にその気がないから、親の空回り。
だけど、クラスの人たちと仲良くしておかないと、
親とか、先生とか、
周りの大人たちが困るので、
仲良くしたいと思っていた。
別に、友達になりたいわけではない。
この集団が、うまく行くレベルで、
嘘の感情でもいいから、仲良くするという行為をしなければならないのだ。
私は、小学生の頃から、
そう考えていた。
ただ、仲良くしたいわけではない、
そんな私の感情を読み取ったクラスメイトは、
私のことが嫌いだった。
嫌われることに対しては、どうでもよかったのだが、
学校生活がうまくいかないことは、
少し困る。
なぜなら、担任は、生徒が友達も作らず孤立していることを
許すタイプではなかったからだ。
面談の時に、担任に「1人になりたいので、放置して欲しい」と言ったら、
「そんなことはない。あなただって、みんなと仲良くしたいでしょ」と
押し切られたので、
1人になることを諦めて、
みんなと仲良くすることにシフトチェンジした。
しかし、仲良くなりたいと思っておらず、
ただ、学校という職場で円滑なコミュニケーションを取りたいだけの、
今思えば、とてつもなく業務的な思考の中学生など、
受け入れられるはずがないのだ。
みんなと仲良くしたい、とか、
交流を持っていたいと思っているのであれば、
卒業と同時に、携帯の電話帳を削除したりしない。
知らない番号も着信拒否したし、
メッセージアプリも、新しくアカウントを作ったので、
私と連絡を取ることは、ほぼ不可能になった。
たまに、親のところに
同級生の親から、「連絡を取りたいと娘が言っていた」という話がくるが、
適当に流している。
実際、友達がいるかどうかと聞かれれば、
「自分と似たような性質を持った仲間はいる」である。
特に連絡を取り合うわけではない。
SNSで交流を持っているわけではなく、
ただ、相手の投稿を見ているだけ。
しかし、そんな仲間とは、
連絡をしていなくても、
約束も何もしていないのに、
意外なところでバッタリと会うのだ。
そこで立ち話をしたり、
時間が合えば、喫茶店に行ったり。
そしたら、行っている日や時間が違うだけで、
同じ喫茶店に通っていたり。
でも、一緒に行く約束とかはしなくて。
それからも、その喫茶店で会うわけでもなくて。
各々が、自分のペースで生きている。
多分、私は、
同じ空間に閉じ込められて、
周りと同じことをしなくてはならなくて、
一人でいることを許されなくて。
周りと違うことが許されない。
それが、嫌だったのだと思う。
大人になった私は、
ほとんど人と会わないし、
周りから見たら、寂しい女なのかもしれない。
だけど、私自身は、楽しく生きている。
誰かに邪魔されることもなく
好きなことをして。
自分のペースで生活をして。
たまに親族の集まりに顔を出すと、
結婚がどうのこうの、
ひどい時には、売れ残りだとか言われる。
それを聞いて思うのは、
「幸せのあり方を決めつける人たちなのだな」ということだ。
彼らは、結婚して家族を持って、子供を育てて、
それに幸せや、やりがいを感じている。
私には、それにやりがいや、幸せを感じることができない。
売れ残りと揶揄して、
焦らせて、
相性のよくない人間と結婚したとして、
それを幸せと言えるのだろうか。
望む幸せは、
それぞれ違うのだと思う。
だから、誰かの幸せを、
私は否定してくない。
だって、私が満喫している幸せを否定されたくはないから。
だから、相手の幸せも否定しない。
私には、友達はいない。
けれど、似たような性質を持った、仲間、
というよりも、同志はいる。
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