肯定されることに不慣れすぎて、不安になって泣いたこともあります。

 
こんにちは。
 
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
 
今回は「毒親」のお話です。
 
 
私の親は、いわゆる「毒親」だったし、
母は家事もせずに遊び歩いていて、
 
家事も家業のこともやらされていましたし、
疲れて横になっていると叩き起こされたり、
 
マッサージに行くこと、
肌や体のケアを自宅ですること、
散歩や筋トレをすること、
鼻うがいや目の洗浄液などを購入すること、
本を読むことさえも嫌味を言われていて、
 
それに反発して実行はしていたものの、
かなりのストレスです。
 
これらは、
「効率よく仕事をするため」
「完璧な体で仕事をするため」にしていたことです。
 
 
実家にいた頃の私は、
「これは、仕事のためなんだよ」
「ムカつくから、意地でもやる」
「稼いで何が悪いんだ」と反発して実行していました。
 
  
主人と結婚して一緒に暮らすようになって、
それらのことに対して「必要なら問題なくない?」という彼の言葉に
 
なぜか「本当にいいの?」「怒らないの?」と違和感を抱いてしまい、
今までしてきたことが、できなくなってしまいました。
 
 
私にとっては、
 
「否定される」「ムカつく」「仕事で結果出して見返してやる」「頑張るぞ!」が基本であって、
 
誰かから「肯定される」ことに不慣れだったんですね〜。
不慣れすぎて肯定されたことに戸惑ってしまったんですよ。
 
 
主人は私のことを無意味に否定しないし、
 
「俺は俺で仕事を頑張る」
「貴女は貴女で、仕事を頑張る」
「職種が全く違うんだから、お互いの仕事が理解できないのは当たり前」
「俺は、貴女の仕事は向いてない」
「貴女は、俺の仕事は向いてない」と言ってくれていました。
 
 
そんな彼と暮らしていれば、
否定と邪魔しかしてこないくせに、
ことあるごとにお金の無心してくる毒親との関係に心を病むのは当然かもしれません。
 
今では親とのクソみたいな関係が「当たり前」だったから耐えられていたんです。
 
 
とあることがきっかけで私の心がポキッと折れてしまい、
毒親と縁を切るに至りました。
 
 
縁を切ってからも、
 
「肯定されること」
「自分の意見が受け入れられること」に慣れずに悩んだり、
 
外出や外食の時、
 
「貴女がどこに行きたいか、何を食べたいか決めなさい」と
自分の意見を決める練習をさせられて
困りすぎて泣いたりもしました。
 
 
幼い頃から「否定されること」で反骨精神で生きてきたので、
「肯定されること」に本気で困ったのです。
 
 
親と縁を切ってからは、
いい意味でストレスはありましたし、 
 
今でも戸惑うことも多いですが、
  
心身ともに「いい意味での練習」だと思っています。
 
 
るい
 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA