親がつけた名前であっても子どもの人生の弊害になるなら、それは「愛」とは呼べない。

 

 こんにちは。
 いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 
 定期的に話題になる「キラキラネーム」ですが…。
 個人的な意見ではありますが、「大人になったときに困らない名前にしてほしいな」とは思います。あとは、名前で個性とか才能などは決まらず、本人の努力でしかないので。名前とかは関係ないですよね。
 
 実は、私の本名はそこそこ特殊なものです。
 毒親と縁を切っていて、身バレして厄介なことになりたくないので本名は絶対に晒しませんが。まあ、私のブログの内容やイラストでバレる可能性はありますが…わざわざ自分からはばらしません。

 

 私の本名は、読み方としては一般的で「まゆみ」とか「あかね」とか、そこら中に溢れているものです。ただ、漢字が特殊でして…。パソコンの変換には出てこなくて私も辞書登録していますし、なにかの契約をしたときに漢字を間違えられることも頻繁です。
 幼少期は、自分の名前の漢字は一般的だと思っていたので「なんで間違えるの!」と怒っていましたが、特殊だと理解したあとは、間違いがあっても書類不備があると問題なので「面倒な漢字ですみません」という言葉を添えて連絡は入れておきますが、謝られても「変換で出てこないし、仕方ないですよ~」と軽く流しています。
 とは言っても、現代にあるキラキラネームのようなものではなく、神社で付けてもらったものなので特に支障はなく、姓名鑑定士も驚愕するくらいに「最強の運を兼ね備えた名前」です。それもあって、結婚したときも主人に私の姓を名乗ってもらいました。
 あとから知ったのですが、女性側の姓を選択する男性は4%くらいしかいないみたいですね。そのおかげなのか、私の努力のたまものなのか…結婚してかた度重なるトラブルもありましたが乗り越えるたびに生活がよくなっていきます。まあ、主人が私の話を聞いて受け入れてくれて、ちゃんと意見も言ってくれて、意見を出し合って折り合いをつけていくという話し合いの基盤ができているというのもあるでしょう。

 

 話は逸れてしまいましたが…。
 私の本名は「姓名鑑定士もビックリするくらいの最強の名前」です。そして、私は毒である親と縁を切っています。
 名前に関して、「親御さんが愛情込めて、考えてくれたんだね。感謝しなきゃな」という方もいます。しかし、私は自分の名前がどのような経緯でつけられたのか、事実を知っています。
 
 先ほども言ったように、私の名前は神社の神主さんがつけてくださいました。
 はっきりと言います、名づけに関して両親はなにも関与していません。ただ、神主が出した候補の中から適当に選んだだけです。このことに関してはヒステリック状態になった毒母から「名前を付けるのが面倒だった」といった内容を言われたことがあります。しまいには「あんたの名前なんか考える価値もないんだから、いいのよ!!」といったことも言われましたね。
 私が生まれたころの実家は、かなり裕福だったので「考えるのが面倒」という理由で神社にお金を払って名付けさせたのでしょう。

 

 私が自分の名前に対して初めて疑問を抱いたのは、小学生時代の国語の授業です。
 宿題で「自分の名前の由来について、親に聞いてみよう」という内容で、私は嬉々として親に尋ねました。けれど、答えが返ってこないのです。困った顔をして、最後には怒鳴り散らして終わりです。
 仕方ないので、自分の名前の漢字を1つずつ漢字辞典で調べて、適当に意味をつけて授業で発表しました。
 
 他の子たちは、「親が、こういう意味を込めてつけてくれた」と発表しているのに、私は親からなにも教えてはもらえず、名前の漢字を調べて推察することしかできなかったのです。
 そこから、自分の名前が大嫌いになりました。

 

 確かに私の名前は、読み方が特殊なわけでもないし、大人になったときに困るような名前でもありません。漢字は特殊なことはありますが、姓名鑑定士もビックリなくらいに最強運な名前ではあるし、その点に関してはメリットだとは思っています。
 けれど、自分の名前に親の愛情も、願いもなにも込められていないのです。
 
 故に、私は自分の本名を正式な漢字表記で見たり、書いたりすることに少しだけ嫌悪感があります。なので、正式な書類ではない限り、平仮名表記にするようにしています。
 常に平仮名表記にしていたために、周りの人たちも私の名前を漢字で見ると「誰?」と思うそうです。私自身、大雑把でテキトー人間なのですが、名前が漢字になるだけで「なんだ、この堅苦しい名前は。一体、誰だ?」という雰囲気になるのです。
 いうなれば、「坂上田村麻呂」と漢字で書くと堅苦しいのに、普段は「まろやん」と呼ばれることが定着していて、周囲が正式な漢字表記を見ると「誰だっけ?」となる感じです。

 

 今話題になっている「キラキラネーム」に関しては、「親が思いを込めて考えてくれた名前」ではあるのかもしれませんが、個人的には賛同しかねます。やはり、大人になったときに恥ずかしくない名前というのが大事ですよね。
 あとは、学校や職場などで漢字や読み方を間違えられたとしても、「特殊だから、間違えても仕方ないよね」と言う気持ちを持ってほしいと思います。私自身もよく間違えられますが、頻繁に使って辞書登録している本人とは違って、他の人は頻繁に使わないし、特殊だから慎重になっても間違えることはあります。
 私自身も、正式な書類とか、いろんな契約書類とかであれば「契約や手続きで、困ることもあるだろう」と報告はしますが、特に怒ってはいません。逆に、「面倒な漢字で、すみません」という気持ちです。

 

 はっきりと言えば、私自身は自分で考えて付けた名前ではないので、怒らないのですが…親はかなりのクレームを入れていましたね。今思うと、自分で考えてもいない名前なのに、なにを怒っているんだと呆れますが…。
 その名前を持つ本人から言わせていただくと、「特殊なんだから、仕方ないだろ」「何人も名前を打ち込んでいれば、うっかり間違えても仕方ないわ!!」「特殊であることを自覚しろよ!!」という気持ちでした。
 
 名前は「親の初めての愛情」なんて言われますが…。
 その名前を成長した自分がどう感じるのか、名づけの経緯を知ったときなにを思うのか。「名づけられたこと」「与えられた名前」を親の愛情だと認識できるのか、できないのか。
 キラキラネームであっても、そうじゃなくても大事なのは成長した時、知識を得てきた子ども自身が「どう感じているか」だと思います。
 私みたいに、「最強の運を兼ね備えた名前」であって、それをメリットとしてモチベーションを上げるために利用していたとしても、名づけられた経緯をしっているが故に自分の名前が大嫌いということもあります。

 

 結局はいろいろ書きましたが、答えはただ一つしかありません。「答えがない」のです。
 キラキラネームでもいいと思っている子もいるだろうし、平凡な名前が嫌だと思っている子もいるだろうし。
 どんな名前であろうとも、自分の努力次第で人生を切り開いていかなければならないことには変わりありません。公的機関が認める理由があれば名前を変更することが可能です。大人になって、自分で生活できるようになって「名前を変えたい!」と思ったら、親と喧嘩して関係がどんなに悪化しても問題ないような生活基盤を自分の力で築いていればいいのです。
 
 名前が「親からの愛情」だとしても、それが子の人生において弊害があるのなら、それは愛ではありません。
 
泪-rui-