主人の扶養範囲内でのんびり働こうなんて考えていた結婚当初の自分を殴ってやりたい。
こんにちは、泪-rui-です。
今、様々な企業が破産したりしてますね。
コロナの影響で…ということなのでしょうけれど、本当にこれから世界はどうなってしまうのか不安になるばかりです。
私たちのような小市民は自分の家庭を維持するだけで手いっぱいで、娯楽や嗜好品にまで余分にお金を使うことを躊躇していまいます。
きっと世界中に同じような人がたくさんいるから、大手企業が倒産することになってしまうのは理解していますが…。
それでも、私たちは自分の家庭を守るだけで手いっぱいなのです。
この先、世の中がどうなるかわからないので「企業や業界を応援したいから、お金を使うぞ!」というのは、なかなか難しいのです。
エンターテイメントに関しても、応援したい気持ちはあります。
映画にだって行きたいし、グッズも欲しい気持ちがあるし「CDを買って応援したい」「寄付をしたい」とかは思うけれど、そこまでの余裕があるかどうかは別の話です。
正直なところを言うと、現時点では余裕がないわけではありません。
我が家では「年間出費」の予算というものを組んでいますし、来年は「〇〇の出費がある」というのも、すべて計算したうえで娯楽に使うお金を確保しています。
今後、仕事がどうなるか、日本経済、物価がどうなるかの見通しがわからない状況では無闇にお金を使えないのです。
コロナで大変なのに、税金などの支払い通知は来ますからね。
払う義務のあるものは絶対に払わなければならないし、生活も維持しなくてはなりません。
大好きなアーティストが活動できなくなってしまったら…。
毎年ある大好きな映画が、なくなってしまったら…。
娯楽がなくなってしまう恐怖もありますが、それよりも自分の生活が成り立たなくなる恐怖のほうが強いのです。
これを「自分のことしか考えていないのか」と非難されるかもしれません。
しかし、自分の生活が成り立たなくなることをお構いなしに娯楽にお金を使えるような度胸を持ち合わせていないのです。
昔、「自己中心的」「ジコチュー」という言葉が悪いイメージで流行しました。
私は、日本人はもっと「自己中心的」でいいと思っています。
「自分のことしか考えない」のではなく、「もっと自分のことを大切にする」という意味での「自己中心的」です。
人に気を使いすぎて心が疲れてしまったり、自分の生活を犠牲にして働いたりとか。
そういうのは、ただの「自己犠牲」です。
自分を犠牲にしてまで、なにかをすることは心を疲弊させるだけです。
なんていうのは、コロナ禍で自分の生活で手いっぱいで、誰かのためになにかをする余裕がない自分への言い訳なのですが…。
私が主人の扶養に入れないくらい稼げていれば、悩まずに”推し”のためにお金を使えたのになぁ…と悔やんでおりますが。
「主人の扶養範囲に収まるように、のんびりやろう」なんて考えて、のらりくらり活動してきた自分を殴ってやりたいです。
泪-rui-