孤独が好きなことは自身を向上するための必須条件なのに変なことなの?

 

 「孤独が好き」と言うと、ほとんどの人に「おかしい」と言われた。
 社会人になってから、図書館に行って勉強していることも「おまえは、変な奴だ」と言われた。
 
 私にはなにが変なのか理解できない。
 図書館に行けば、様々な年代の人が本を読んでいたり、自習室で勉強している。
 
 喫茶店だって勉強しているのは学生だけではない。
 私としては、喫茶店やファミレスは「勉強しに行くところ」という認識が大きいので、基本的には1人で行く場所なのだ。誰かと一緒では集中できないし、意味がない。
 
 実際に図書館やファーストフード店、喫茶店を観察しているとわかることなのだが、1人で来ている人は勉強に集中していたり、読書をしている。
 友だちと来ている人たちは、勉強道具を広げていてもお喋りばかりしていてなにもしていない。または、集中している人に他の人が話しかけたりして邪魔をしている。
 そんなことからも、勉強目的の図書館やカフェなどは「1人でいくもの」なのだと思ってしまうのだ。だから、1人で行くことが「寂しい奴」ということは絶対にない。というか、目的が違うのだ。

 

 孤独の時間、1人の時間というものは「自身を向上させるため」に必要なものであり、成長したいと思っている人にとっては「1人でいることができる」ことが必須条件になる。
 孤独が好きなことを周りから「おかしい」と言われるのは、ただの嫉妬だと私は思っている。
 
 なぜなら「孤独を愛することができること」「1人で黙々と自身を向上させることができること」ができる人間のことが羨ましいからだ。
 それに気づいたときから、孤独を愛している私、孤独を楽しんでいる私のことを好きになり始めて満喫できるようになった。
 
 今は、いろんな稼ぎ方があるし、頑張ればなんとでもなる時代だ。
 だから、生き方を自分で選ぶことはいくらでも可能である。
 
 
 泪-rui-