後悔を想定して、親を捨ててる。【毎日、何かを考えている。】

 
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こちらのエッセイは、カクヨム、アルファポリスにも掲載しています。
 
 
詳しくはこちら。
 

 
 
 
 
 
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私、親と縁を切ってましてな。
 
まあ、捨てたんだけど。
 
 
公的機関の支援を受けて、
諸々の手続きして。
 
 
親には、
連絡したいことがあったら、
公的機関(市役所とか警察)、弁護士を通してね。
 
それ以外は、全部無視だよ。
 
 
そう伝えてあるので、
今の所、連絡は全部無視してます。
 
 
縁を切る時に、
「後悔するときはくると思うけど、いろんな状況とか諸々考えて、マジで無理だわ」って伝えてて。
 
 
で、それからずっと、
「いつになったら、私は後悔するのか」と考えてるんだけど。
 
 
縁を切って約10年。
 
 
コロナ禍の時も、
実家地域が水害にあった時も。
 
 
心配とか、後悔の気持ちは、
全く出てこなくて。
 
 
むしろそんな自分自身に対して、
「私、クズなのでは?」と思い悩んだりして。
 
 
 
まあ、縁を切った時点で、
実家がゴミ屋敷になったり、
最終的に首を吊るしかなくなるんだろうなぁ、とは理解していたし、
わかった上で、今後一才関わらないと決めたので。
 
 
「こうなった後悔するだろう」というのを想定した上で、
「それでも縁を切るのか」を自問自答して、
 
その結果「親を見捨てる」という決断をしているので。
 
 
「見殺しにした」という罪悪感でしんどいことはあっても、
そうすると決めたのは、私だしな、って。
 
 
「親を捨てた」というよりも、
親とか関係なく、「自分が原因で人が死ぬことになった」というのを、
受け入れることが、まだできていない。
 
 
まあ、捨てられる原因は、
親にあるし。
 
彼らのしでかしたことの後始末とか、
あいつらの散財分まで、稼ぎきれないからね。
 
自分の生活を犠牲にしてまで、
彼らのことを、守りたくない。
 
 
それでも、「自分が原因で人が死ぬこと」を、完全に受け入れることは、
まだ、できてないんだ。
 
 
ちなみに私は縁を切った時に、
最低でも3人は⚪︎したつもりでいる。
   
 
 

 
 


 
 
 
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連載として読む場合は、カクヨムやアルファポリスの方が読みやすいと思います。
 
 


 
 
 
 
 

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