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第6回 孤独が向いている人、向いていない人

 

目次はこちらから。

 

私自身は、孤独が向いている性質を持っています。
 
LINEや電話は基本的に主人からしかありません。登録されているのは生活に関わる事業所で個人で登録されているものは殆どありません。あるのは親族くらいです。
人とのつながりはTwitterで、現実で繋がっている人はほぼいないと考えていいです。メッセージのやりとりは、TwitterのリプやDMで行っていますが、頻繁にあるわけでもありませんね。
そんなわけで、私の交友関係はほぼ無いといっても過言ではありません。
 
実のところ、それを寂しいと感じたことはありません。
幼少期から人と関わることを強要されてきましたので、そのためか「人と関わること」を「仕事」と割り切らなければ人と会うことすらできません。
サービス業を営む家庭に生まれて育ち、就職したところもサービス業でしたので、人と関わることが多い環境ではあったけれど、私にとって人と関わることや会話をすることは、すべて「仕事」だったのです。親と会話することすら、ただの仕事です。
 
「孤独はダメ」という洗脳から、人と関わることを「仕事」と割り切るようになってしまったのだと推測しています。
 
主人と出会って、私の「孤独好き」という本質を見抜き「それで、いいんじゃない」と受け入れて差としてくれたので、私は人との関りを最小限としました。
 
孤独な生活になったときは、幼少期からの洗脳もあり「人と関わらなくてはダメじゃないのか」「私は孤独で許されるのか」と、かなり悩んで小説などの文章、イラストを描くなどのことに集中できず、悶々とする日々が続きました。
 
「孤独であること」よりも、「それは許されるのか」と悩んで、精神的に病んでしまったのです。
 
現在も、「孤独は許されるのか」と悩むことはあります。それも以前ほどではなくなり悩んでも結局は「私は孤独が好きなのだから悩んでも仕方ない」という結論に毎回なるので、悩んでも無駄なのです。
ここにたどり着くまでに、2年近くかかっていますが、結論に辿り着いたのでよしとします。
 
補足として…。
孤独に生きてはいますが、完全に人との関りを遮断しているわけではなく、主人とは会話をしますし、SNSでコメントを頂いたら「嬉しい」と嬉々として返信しますし、私も気になったものがあれなコメントしたりします。
リアルでの繋がりや、常にメッセージをやりとりすることがないということです。
 
お互い「いいな」と思ったら伝えて、それ以外の密な付き合いはないということでしょうか。
 
 
ある意味ではSNSなどのネットがあるからこそ、成り立つ孤独なのでしょうね。
 
 
  
【孤独が向いている人の特徴】
 
 
世の中には、いろいろな人がいますので孤独が向いている人もいれば、向いていない人もいます。
孤独が向いているのは、どんな人なのかを考えていきますが、私自身が孤独好きなので、私を基準としてお話させていただきますね。
 
まず孤独が向いているというか、孤独好きなタイプは「創作が好き」だと感じています。私自身が、そうなのですが、1人でパソコンに向かって文章を書いていたり、机に向かってイラストを描いていることが楽しくて仕方ないのです。私が住んでいるのはファミリー向けのアパートですが夫婦2人なので、1部屋を私の作業部屋として確保させてもらっています。主人は私が作業部屋に籠っているときは、用がない限りは言ってきません。
作業しているときに、同じ部屋に人がいるだけで気になって集中できなくなります。同じ家の中に人がいるのは平気なのですけどね。スマホなどの通知も気になってしまうので、リビングに放置して作業部屋にはスマホを置きません。
 
創作というのは、自分の世界を表現することであり、人からなにか言われたり余計な情報を入れられることで、自分の世界が崩れてしまうので、できる限り人との関りを薄くしたいのですよね。
創作は、自己満足でしかないので、どう評価されようとも「これが私の世界だから」と返答するしかないのです。
私の書いたものに、見てくださった方が「なにか」を感じてくだされば、それだけで満足なのです。肯定でも否定でも「なにか」を感じてくださればいいだけなので、なにが正解不正解という明確な答えはないのであって、コメントだって「けれど、自分はこう思います」と言った内容だってかまわないのです。
 
結局は、孤独が好きな人は「創作」が好きだったり、「なにかを作り上げる」ことが好きなのですよ。
 
パズルやプラモデルだって、1人で作りますし、素晴らしいアマチュア模型も、伝統工芸も基本的には地道で孤独な作業です。
 
つまりは、孤独が好きであり、孤独を愛している方というのは「なにかを極めた人」ということなのでしょう。
まあ、私はまだまだ極めたとは言えません。なので「孤独に関する考察」をして極めようとしていのでしょうね。
 
この考察連載「孤独とは。」は、孤独が好きなんだという自分を受け入れた私が、孤独を極めるために考えを纏めようとして始めた連載ともいえるのです。
 
 
 
【孤独が向かない人とは…】
 
 
私自身は、孤独が向いている人間で、それに気づくまで「人と関わるのは仕事だ」と割り切って人間関係を築いたきましたが、実際に人と関わることを好むわけでもありません。逆に「仕事だ」と思っているからこそ、LINEや電話に過敏に反応してしまうこともありました。
 
それに加えて、私に友だちが少なかったり人付き合いが下手と周りが認識しているからか、寂しがりの方々が頻繁に連絡をくれるのです。私は人間関係を仕事だと思っているので必ず返信しますし、長電話にも付き合います。そうして私は疲弊していくのです。
 
そのような方たちとの、会話を考えると孤独が向かないタイプというのは、自分に自信がないということだと考えます。
「自分を肯定してほしい」という気持ちから、人と関わることに執着するのです。
虚勢を張っている人、自慢ばかりする人など、それは自分に自信がないから、他者から「すごいね」と肯定してほしいのです。
 
そういう方ほど、「孤独はダメなことだ」「寂しい奴だ」などと言っていました。
  
 
大変失礼な話なのですが、私はそんな方たちと付き合うなかで「人間とはなにか?」と考えるようになり、趣味の範囲ではありますが人間を研究するようになりました。
 
人付き合いが「仕事」であり「研究」になったのです。
 
思い返すと、かなり失礼だったと反省しておりますが、その研究がなかったら私は「自分は孤独が向いている」と気づかなかったので、自分としてはよかったです。
 
 
話はそれてしまいましたが、「孤独が向かない人」というのは、自分に自信がなく他者に肯定してほしいから孤独を嫌がるのでしょう。
昔、「俺は孤独を愛する人間だから」と豪語するおじいちゃんがいましたが、その方はとても面白くて素敵な方でした。いつも1人でシルバーカーに乗ってフラフラしていて、私を見かけると「よ~」なんて言いながら、楽しい話を聞かせてくれるのです。
かといって、連絡をとりあって待ち合わせるわけでもなく、会ったときだけです。
 
そのおじいちゃんは、孤独を楽しんでいて、常に自信満々な雰囲気をまとっていました。
 
その方と気が合ったのも、私が孤独に向いている人間だと見抜かれていたからかもしれません。
 
 
孤独が向かないのは、自分に自信がないからであって、「自分は、これでいいんだ」という自信が付けば、孤独の時間を楽しめる人間に変わるのかもしれません。
「自分で考える力」「思考力」を身に着ければ、孤独の時間も楽しめるのですが、現代は自分で考える力が衰えているといわれていますし、協調することを重視する日本の特性からも、孤独であることを受け入れることができなかったり、他者との繋がりを求めてしまうのかもしれませんね。
 
それも、自分に自信がつけば気にすることはなくなって、「私は孤独が好きだから、いいのよ」と言えるのです。
 
 
【次のテーマ】
 
次回は、「孤独と創作」について考察していきます。
 

次回

第7回 孤独と創作

 
 

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