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第5回 なぜ孤独であることは否定されるのか

 

目次はこちらから。

 

人間にとって、孤独は必要なものであるというお話をさせていただいておりますが、一般的には孤独であることはマイナスのように言われています。

孤独であることのメリットは数多くあるのに、なぜ孤独であることを人は否定するのでしょうか?

私自身も、1人でいることを悪く言われていましたし、人と関わることを強要されていました。

1人で喫茶店に行くことを「寂しい女」と言われ、1人で読書をすることさえも「本ばかり読んで!外に出ろ!」と言われることもありました。

「俺は孤独が好きなんだ」と言っていた80代の男性を、完全否定している人たちも間近で見ており、私の中でも「孤独はダメなんだ」「1人でいることは、いけないことなんだ」という意識が生まれてしまったのです。

だからこそ、「人と関わらなくてはいけない」という強迫概念から、孤独でありたいという自分を押し殺して人と関わってきました。

誘われれば、「今日は気分じゃないんだよな」と思いながらも、「人と関わらなきゃ」という気持ちで遊びに行くこともあり、帰宅するとかなり疲弊しています。

精神的にまいっていた時期に主人と出会い、「無理に人と関わらなくてもいいんじゃない?」という鶴の一声で、「そう言ってくれるなら、遠慮なくそうするよ」と開き直り、現在は最低限の人間関係しか築いておりません。

SNSでは、多少のやりとりをすることはありますが、そちらも私から接触を持つわけではなく、コメントを頂いたらお返しして、私自身が「これは、どうしてもコメントを残したい!」と感じたものだけにメッセージを送っています。

今は「SNS疲れ」という言葉もあるくらいですから、殆どの方は「時間があるときに、お返事いただければいいですよ~」というスタイルなので、お互いに返信が遅いくらいで気にしたりはしません。

コミュニケーションが大事なのは理解していますが、過度なコミュニケーションは互いに疲弊してしまいますし、返信などに時間を費やしていては、自分自身の「すべきこと」が蔑ろになります。

相手のことが大事なのかもしれませんが、一番大切にしなければいけないのは「自分自身」です。

日本人の特徴である「自己犠牲」のせいなのかもしれませんが、自身を犠牲にして相手に尽くすことが”いいこと”だと思っている方が多くて、ビックリします。

学校教育でも「みんなと仲良くしなくてはいけない」「人と違うことは、悪いこと」「孤立してはいけない」と教えていますが、それは正しいことなのでしょうか。

相手の顔色を窺い、友だちや、先生が褒めてくれるように己の感情を押し殺して生活する。

家でも親の顔色を窺って、自分の感情を押し殺す。

友だちを作らないことを、悪いことだという大人たちに振り回されて、子どもたちの心は疲れ切っていく。

私自身も、小さいころから1人でいることが好きだったのですが、親や学校の先生たちから友だちを作ることや、一緒に遊ぶことを強要されていました。

周りに気を遣う子どもだったので、「私が1人でいると、親が悲しむんだ」「私がクラスで浮いていると、先生が困るんだ」という気持ちから、仲良くしようと必死でしたが、心の中では1人になりたい気持ちが強かったので、周りとうまくいくわけがありません。

【孤独を否定するのは、孤独を愛する人間が強いことを知っているから】

私は主人と出会うまで、「孤独であることは、人間としてダメなことだから頑張って人と関わらなくては」と思い込んでいました。

ある意味で、周りに洗脳されていたのです。

1人で喫茶店に行くことを「寂しい女」と言われても、「1人で静かに本を読みたいだけなのに、どこが寂しいのだろう?」と疑問に思っていました。

私を「寂しい女」と表現している方たちは、孤独であるメリットを知らなかったのかもしれませんし、孤独を好まないタイプなのかもしれません。

世間を知らない私は、「1人で喫茶店に行ってはいけないのか」「1人で出かけてはいけないのか」と、モヤモヤしていたのです。

そして、主人と付き合っているときに「あなたは、人と関わることに大きな意味を見出していないから、無理して関わらなくていいんじゃないの?」と言われました。

ちなみに、これは私を否定したり別れを切り出す言葉ではなく、「あなたは、それでいいし。そのほうが生き生きしているし。人と関わることによって、迷いとか不安が生まれているし。あなたは1人のときが一番強いよ。俺はそんなところが素敵だと思うよ」という愛の言葉です。

結局は、そう言ってくれた主人と結婚して幸せに暮らしていますからね。

ここからは、まったくの他人であった主人から見た私と周囲の関係性についてお話させていただきます。

結論から言わせていただくと、主人曰く「あなたの周囲は、あなたの強さや賢さに嫉妬して、それを潰そうとしているのが、俺からみたらまるわかりだ」とのことです。

私の両親ですら、私の持っている才能を潰そうとしたり邪魔しようとしていることが、まったくの他人であった主人から見たら一目瞭然だったそうですよ。

ここでは詳しくお話しませんが、幼少期からの虐待や、お金の無心などがあり毒親とは縁切りしております。

主人が言うには、「嫉妬や妬みからの嫌がらせや妨害、罵詈雑言で、あなた自身がつぶされてしまうのはもったいない」とのことです。

私に才能があるような書き方をしてしまいましたが、実は私自身はそう思っているわけではありません。

「なんかさ。私って才能あるらしいんだけどさ、どこにあるの?」くらいにしか思っていなかったりします。

仮に私に才能があったとしても、その才能を潰しているのは私自身に根付いた「自己否定」の感情です。

今は薄れてきましたが、結婚したばかりのころは「私なんかの作品を…」「自信がない」「”素敵ですね”って言ってもらったけど、私なんかの作品を…」などと、マイナスの感情が渦巻いていました。

私が孤独の時間をメインに過ごすようになってから2年くらいになりますが、なぜか作品に自信が持てるようになってきました。

現実で人と関わることは殆どなく、作品を見てもらうことはありません。

その代わり、ネットにはアップさせていただいていますので、私自身のことを知らなくて私の作品だけを見てくださっている方たちが「いいね」と言ってくださるのです。

結果としては、私のことを幼少期から知っていて、私自身の強さ、賢さを実感していて、私自身を脅威と感じている方にとっては、否定して自信を無くさせて行動を制限させようとするのですが、ネット上で私の作品だけをみて「いいな」と思ってくださる方がたくさんいて、褒めてくださるのです。

私が2年間という孤独な時間を過ごさなければ、気づかなかったことであり、心を疲弊させながら人と関わり続けていたら、気づかずに創作を辞めていたかもしれません。

これらのことから、孤独を否定したりバカにする人というのは、孤独を愛する人が芯から強いことを知っているから、わざとなのか本能からくる無意識なのかはわかりませんが、孤独であることを悪いことと決めつけるのでしょう。

【孤独は人間を強くする】

私自身は「孤独を愛する人間」なのですが、主人は「寂しがり」です。

まったく違うので合わないように感じますが、案外うまくいくもので、私は家に籠って創作活動をしているだけで、人と関わることは殆どありません。

主人としては、家に帰ったときに誰かが迎えてくれることで安心しているし、家にいても私が1人で出かけることはないので、主人が家にいるときは必ず私が家にいるので、寂しいと思うことがないようです。

たまに、私が用事で主人を家に1人にすることがあると、必ず漫画喫茶に行きます。

とにかく家に1人でいることが嫌なのです。

そんなわけで、1人でも平気な私と、会話しなくても誰かにいてほしい寂しがりな主人では相性がいいのです。

主人が仕事に出ているとき、私は家に1人で創作にいそしんでいますが、寂しいと感じたことはなく、一時期は「人として、それでいいのか」と悩んではいたのですが、「それでいいんだよね」と開き直ってからは、すこぶる元気です。

孤独であることを否定されでいた時代は、ストレスで肌荒れも酷く、情緒不安定だったのですが、孤独であることを肯定されて、自分でも受け入れることができれからは、肌も綺麗になく、精神的にも安定しています。

私自身が、かなりパワーアップしました。

孤独であることを否定したりバカにしたりするのは、孤独をパワーに変えられる人間に対する嫉妬だったのだなぁというのが、私がたどり着いた結論です。

【次のテーマ】

次回は「孤独が向いている人、向いていない人」について考察していきます。

 

次回

第6回 孤独が向いている人、向いていない人

 

目次はこちらです。

  

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