孤独とは。

人と関わりたくないわけではなく、邪魔されたくない

 

 私が孤独であることを好む理由には「邪魔をされたくない」というものがあります。幼いころからなにかをしようとすると必ずと言っていいほど邪魔が入ってきたり、別の仕事を押し付けられたりして「やりたいこと」ができなかったり、中途半端に終わったりしてきました。特に邪魔をしてきたのは実の両親です。目に見えた嫌がらせは資料や書類を破かれてゴミ箱に捨てられたり、部屋を荒らされたりといったことです。他にも「パソコンで遊んでいる暇があるなら、家業を手伝え」と長々と嫌味を言われたり、「あいつはパソコンで変なことをしている」などど吹聴されたことでしょうか。私自身もかなりストレスに感じていました。実の親からそんなことをされたり、言われたりしているので他の人たちからの嫌がらせや嫌な視線を感じることも多々ありましたね。もちろん理解者もいました。しかし、私の両親は地域の中でもそれなりの立場にいるので、表立ってかばうことはありません。様々な妨害を受けながらも、私は陰でこっそりと「ひきこもりで稼ぐ」ための勉強を続けていたのです。

 

 家族、親族、地域の人間でもない、完全な第三者である主人からみると私に対する否定の言葉や嫌がらせの数々は「ただの嫉妬」でしかなかったようです。幼いころから、それらに晒されていた私は自分に自信がまったくない自己否定の塊でしかありませんでした。「否定されることは当然」「こいつらが嫌がるなら、私はやるんだ」というマイナスの気持ちで頑張ってきた私ですが、ストレスは確実に心身をむしばんでいました。心が限界に達して「もう嫌だ」と泣いた私に、主人は「実の娘を否定しかしない親」と親族、地域の人間たちから遠ざけてくれました。親と生まれ育った地域と縁を切ったのです。

 

 正直なところ、「否定されること」に反発して頑張ってきたので、否定してくる人たちがいなくなったことで私はかなり戸惑いました。主人は「いいじゃん」「やってみなよ」「好きなようにやりな」「頑張れ」と肯定と応援の言葉しかくれないので、否定しかされてこなかった私は大混乱です。はっきり言うと、応援してくれる主人を信用することができませんでした。そんな状態でモヤモヤした低迷期が2年ほど続いたのですが、その間にブログやイラストなどを公開していろんな方に「素敵です」と言ってもらえて、少しずつ自己肯定をできるようになったのです。

 

 私は自分を否定しかしない親と関わりたくないですし、親を含めて様々な人たちからの否定の言葉に今の私は耐えられません。昔は笑って受け流せていたのですが、今は言われた言葉を思い出すだけで胃が痛くなるし泣きたくなります。主人に言わせれば「あれらは、ただの嫉妬。無意識のうちに貴方の能力や存在に恐怖を覚えて、小さいときから潰そうとしてきただけ」らしいのです。確かに「否定されること」を当然として「好きなだけ否定しろ。おまえらが嫌がるなら、好きなだけやってやるわ」と頑張れていた私はある意味で恐ろしいのかもしれません。ただ、それはただの強がりで虚勢であり、心は傷つきまくっていたし自分自身を追い込んでしまったのですが。

 

 そんな過去と経験があってからか、私の中には「人と関わっても、否定してくるし。私のやりたいことの邪魔にしかならない。だから関りたくない」という結論が出ています。もちろん、そんな人ばかりではないとはわかっているのですが、初めは肯定してくれる人でも付き合いが長くなるにつれて否定の言葉を浴びせてくるのです。これは、ぼけ~っとしているから「どうせできないだろう」と思っていたのだけど、実際には地頭はいいしスキルも持っているので脅威だと気づいて邪魔してくるということらしいです。主人に説明してもらって「ああ、そういうことだったのか」と合点がいったことが殆どなのですが、やはり渦中にいると気づかないものなのですね。ちなみに主人は「あなたの活動や稼ぎは、我が家のメリットになるから、それでいい」と思っているみたいで、応援してくれています。

 

 そんなわけで、現在「孤独ライフ」を満喫している私は、過去にいろんなことがあったのです。今はとにかく「やりたいこと」を邪魔されずに、邁進していきたいのです。

 

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投稿者

rui@rui-world.net
主婦です。 気ままに活動しています。