孤独とは。

普通を装うために生活が困窮するなら、初めから普通じゃなくていい

 

人生はいろいろです。全員が同じ生き方をするわけではありません。保育園に行く人、幼稚園に行く人、公立学校、私立学校、公務員、サラリーマン、フリーター、フリーランス、旅人など、人によって生きてきた環境も、これから目指す生き方も違っていて当然なのです。性格によって人と関わることが好きな人、苦手な人。人と関わることは苦手だけど、人と関わりたい人、人と関わることは得意だけど、実は人と関わりたくない人。いろんな人がいるのです。私はコミュニケーションスキルは持ち合わせているけれど、実際には人と関りを持ちたくないタイプです。人と会わずに仕事をしたいし、家に籠って本を読んだり、創作活動をしたいのです。世の中にはいろんなタイプの人間がいます。そんな中で「孤独を愛して生きたい」と思う人間がいたところで、なんの問題もありません。

 

 私の知り合いの80代の男性に「俺は孤独を愛している」と言っていた方がいました。私は「かっこいい」と感じたのですが、周囲の反応は「変な人」でした。私自身が孤独を求めていたのでかっこいいと感じたのですが、やはり大多数からは「変」という認識なのですね。「変」「おかしい」と感じるということは、なにか基準になることがあるわけで、それが「普通」ということなのでしょう。しかし、「普通」とはなんなのでしょうか。普通の感覚というのは大多数の意見であり、大多数がしていることなのです。例えば、「結婚したら子どもを産んで、家を建てるのは普通のことだ」という人がいたとします。今は建築会社がかなり頑張って銀行にごり押ししてくれるので「いや、おかしいだろ」と言いたくなるようなローン設計でも通ってしまうそうです。単に中身が伴っていないだけです。かなり立派な家を建てた2人の子どもを持つ親族が「家のローンが払えないから、お金を貸してくれ」と父に頼みにきていたのを見たことがあります。つまりは、そういうことです。(父は断っていました)生活がギリギリで、共働きするしかなくて、旅行に行くこともままらなくても「結婚して、子どもがいて、家を建てる」という普通は傍目には存在しています。ただ、ローンを払うお金がないからお金を借りるというのは普通ではないでしょう。つまりは「普通」を取り繕うために「普通ではない」ことをしているのです。本気で「普通ってなんだ?」と疑問しか出てきません。

 

 先ほど例に挙げた「俺は孤独を愛して生きている」と公言していた方は、毎日シニアカーに乗って楽しそうに散歩していました。若いころに趣味で音楽をやっていたらしく鼻歌を歌いながら季節の変化を感じているのです。そしてすれ違った人に挨拶をして適度に交流しています。杖なしでの自力歩行が困難な方ではありましたが、いつも楽しそうにしていました。過度に人と関わることをせず、自由を満喫していました。そして、この方はローンを組まずに一括払いで家を建てたそうです。それまでは、かなり古い家に住んでいたと他の方に聞きました。予想ではありますが、周りの意見や風潮に左右されず己の意見を貫いたのでしょう。

 

 ローンが払えずにお金を借りようとした親族は、周りから「結婚しろ」と結婚相談所を介して結婚して、親や義両親にせがまれるままに子どもを産み、収入や貯蓄などの資産にも見合わない家を周りの人間や建築会社に流されるままに建ててしまったのでしょう。

 

 世間の言う「普通」に流されて己の持っている性質や想い、資産を考慮せずに行動してしまうと、あとで大変なことになります。「私は、本当はこう生きたいのに!!」と思っても方向転換が難しくなってしまいます。私はたまたま結婚した相手が「好きにしたらいいんじゃない?」と言ってくれたので家からほとんど出ずに日々を過ごしています。主人に出会わなかったら結婚はしていないし、ずっと独身でフリーランスになる準備ができ次第、毒親を捨てて1人暮らしをはじめ、「孤独ライフ」に突入していたでしょう。主人とは仲良しですが、利害が一致したから結婚しただけです。

 

 孤独を愛して生きることが普通でないと言われても、普通であると取り繕っても、中身がグダグダで、取り繕うために普通ではないことをするくらいなら、初めから普通じゃなくていいのです。

 

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投稿者

rui@rui-world.net
主婦です。 気ままに活動しています。

三つ子の魂百まで

2020年11月25日