孤独とは。

第18回 子どもの孤独と、大人の孤独

 

目次はこちらから。

 

孤独に生きること大して、子どもと大人では事情がかなり違います。

大人が孤独であることは自己責任だと考えています。

自ら孤独であること選ぶことはもちろんのこと、意図せずに孤独に置かれたとしても自己責任です。

周りから嫌われたり、無視されたりすることで孤独になっても、大人なのですから自身で対応していくことが大切です。

第一に、大人でありながらも嫌がらせのように無視したりするほうがバカなのです。社会知識も情報も持っていない子どもではないのですから、こちらから関わらずにいればいいことです。相手にするだけ時間の無駄です。

大人であれば自ら働いてお金を稼いでいきていかなければならないので、自分を無視するような人とは関わらずに、自分が生きていくために仕事をしていればなにも問題がありません。孤独に仕事をすることは、努力をして継続していけばなんとかなる時代です。私もなんとかなってます。

自分のことを嫌っている人たちと一緒にいたいとは思いませんし時間の無駄でしかないので、1人で好きなことをして、ネット上だけでも「いいね」と感じてくれる人がいればそれでいいのです。

私個人の体感ですが、ネット上で偽名で活動しているほうが「いいね」とコメントをいただけることが多いです。本名で活動していると嫉妬、妬みから批判や「わけのわからない」と言われますね。ちなみに、書いている人も、思想も内容も変わっていないのですけどね。

主人からも「あなたの仕事とそれ以外の思考のギャップに誰もついていけないから、偽名でやったほうがいい」と言われました。

私は普段はちゃらんぽらんなのですが、仕事でパソコンやデスクの前に座ると主人ですら声を掛けられないくらい真剣になっているらしいです。

ちなみに普段は鼻歌歌いながら散歩しているアホな感じです。

というわけで周りからバカにされるのは当然なのですが、そんな女がパソコンを使ってそれなりに稼いでいるなんて面白いわけがなく、結果として嫌われるのです。ただの嫉妬と妬みですね。

そんなものに付き合っている時間がもったいないので、私は「孤独に仕事をする」ことを選びました。あとは目も悪く運転にも支障があるし、人と関りを持つと疲労度が高いのもありますからね。

私の場合は「自らが選んだ孤独」です。

無視されたり嫌味を言われたり、周囲から嫌われている自覚はあります。けれど、そんなのを気にしている時間はもったいないし無駄です。そんな彼らを適当にあしらって、自分のするべき仕事をしてお金を稼いで、自分の大切にしたい家族を守ることが大切であり、くだらないことに時間を割くなんてもったいないです。

本気で邪魔なのであれば、私のようにすべて捨ててしまえばいいのですよ。

邪魔する人間は、親でも兄弟でも親戚でも、どこぞの社長でも、自分より稼いでいる先輩だろうが必要ありません。

自分のことを嫌っている人間を切り捨てて、なにが悪いのかは私にはわかりません。

私は成人してから自ら孤独を選び、収入を得る方法を考え勉強して生活をしています。

自分で選んだことなので、後悔はありません。むしろ楽しんで生活を送っています。

では、小学生や中高生などの「孤独」はどうなのでしょうか。

私自身の経験を語らせていただきます。

自覚はしていませんでしたが、私は子どもの頃から本能的、潜在的に孤独である生き方を求めていたのだと思います。

しかし、周りの大人たちから同級生や周りの人たちと関わることを強要されてきました。

「人と関わらなくてはいけない」「仲良くしなくてはいけない」と思い込まされていたのです。

今は、「孤独に生きていてもなんとかなるし、それでも稼げる時代だ」「それが、私が望んでいる生き方だ」と気づいて開き直れたので楽しく孤独ライフを満喫しています。

子どもの頃は、周りと仲良くしたり一緒にいたりしないと怒られることが多かったので、本当につらかったです。

親や担任になった先生が、そういう主義だったということもあるのでしょう。

「孤独であること」を認めてくれるような大人が周りにいなかっただけです。

認めてくれる大人がいて「あなたは、それでいいのよ」と言ってくれたら、私はもっと別の人生を送っていたかもしれません。

ただ、「1人でいること」「孤独であること」を認められず、学校に行くことを無理強いされ、友だちを作ることを無理強いされていた学生時代は、本当に生きづらかったです。

そのために「生きることは仕事、業務だ」と思って生きてきました。

常に笑顔を絶やさずニコニコしていて周りから楽しそうに見えていたかもしれませんが、実際はまったく楽しいなんて気持ちはありません。仕事だから笑っているだけです。

現代でも、人と関わることを好まないタイプの子どもが数多くいるでしょう。

中には、孤独であることを周りが認めてくれている場合もあるかもしれません。

それでも、人と関わることを強要されて生きづらさを感じている子も多いと思います。

私もそうでしたが、孤独を好む人は幼少期からその傾向が表れているものです。

周りにいる大人が「合わないなら無理して人と関わることをしなくていいのよ」と言ってくれない限り、子どもは孤独に生きることができません。

とは言っても、世の中の殆どが「孤独ではダメだ」という風潮なので難しいです。

私自身も、学校に行かず独学、家庭教師などで生きるため稼ぐための勉強をできていたら、もっと楽に生きられたと思っているので、無理に仲間に入ろうとしたり強要されたりすることを止めたいのですが、そうもいきません。

すぐ近くにいる親や教師が認めてくれないとだめなのです。

余談ではありますが、私は「こども」という単語を「子ども」と表記するように心がけています。

それは「子供」の「供」という感じには「従わせる」というような意味があるからです。

「子どもだって、自分の意志があって大人の言いなりになる必要はない!」と常々思っているので、「子供」ではなく「子ども」と表記しているのです。

子どもは親や大人がいなければ、生きていけません。

ゆえに「親や大人の言うことを聞かなければいけない」と思っているのでしょうし、確かにそうなのです。

だからこそ、周りにいる大人たちが「子どもがなにを望んでいるのか」を見極めてサポートすることが大切です。

孤独であることを求めて、友だちとの関りを望んでいないのであれば、勉強するにも他のことでもいろいろな方法があります。

学校や集団教育にこだわる必要はどこにもありません。

大人は「孤独に生きて、孤独でありながら稼ぐ」ことを自分で選ぶことができますが、子どもは自分で決めてそのとおりに行動できるわけではありません。

それを含めて、大人でも孤独を選んだ私も子どもの頃は、孤独であることを認められず生きづらい思いをしてきました。引きこもりのニートにもなりました。

その経験があったからこそ、今は「孤独に生きるって最高」となっています。

子どもの頃から孤独を認めてもらって、生きていたら今の「孤独って最高!」という気持ちを持っていたかはわかりません。

けれど、他者との関りを強要されていたこと、無理やり集団教育の場に行かされていたことは、死にたくなるくらいにつらかったことは事実です。

大人になって孤独を満喫できるようになったのは、子どもの頃に孤独であることを認めてもらえずに苦しんできたからというのもあるのでしょう。

それでも、子ども時代に「生きづらさ」を感じることは精神的にもつらくトラウマになることもあるので、学びの場の多様性があればいいのにとは思います。

【次のテーマ】

次回は「孤独好きは、人を馬鹿にしている?」で語っていきます。

 

 

目次はこちらです。

 

 

泪-rui-

主婦です。

気ままに活動しています。

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