孤独とは。

第17回 子どもの頃から大人びた感覚を持っていた私

 

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私がいったいどんな子どもだったのか。

正直なところ、私にもわかりません。

自身の感覚としては、あまり変わっていないような感覚がしています。

私が大人として未成熟なのか、まだまだ子どもなのかはわかりません。

けれど、それで困っているわけでもありません。

20代に入ってから常に言葉にしていたことは「童心を忘れない」であり、老若男女、幼稚園児でも赤ちゃんからでも学ぶことがあると断言してきました。

私にとっては生まれたばかりの赤ちゃんでも先生であり、認知症になった方も先生なのです。

我が家の家訓の1つに「馬鹿になれ」というものがあります。

大人だからとか、くだらないとか、はしゃいで恥ずかしいとかいう感情は邪魔なだけです。

子どもだって大人だって、楽しいものは同じであり喜怒哀楽の感情は変わりません。

大人になったからって、子どもの頃に楽しかったものがつまらなくなることはあり得ません。

「楽しい」ことは、子どもも大人も同じなのです。

私の場合、子どもの頃から読書をしたり1人で文章を書くことが好きで、それは今も変わりません。

友だちと遊ぶことにストレスを感じることも、幼い頃も今も変わりません。

大人になるにつれて、「世間体」や「働くため」に人との関りが必要だったから、人と関わるスキルを知識として身に着けて行動していただけであり、好きではありません。

今の私が人と関わらずに収入を得られているのは、インターネットの発達や広告収入という媒体ができたから、そのために必要なスキルを必死で身に着けて、人との関りが最小限になってストレスの少ないように努力してきたからです。

そのために、人と関わる仕事を必死でしてきました。

小学生のときいじめの対象になっていたのですが、私は家でも母親から似たようなことをされていたので、同級生からのいじめに関してはあまり気にしていませんでした。

ただ、身勝手な嫌がらせによって学校での生活や作業が滞って、あとで怒られることになるのが嫌でしたね。すべて私のせいにされますから。

まだまだ昭和の名残が残る時代なので、1人でいることは認められずクラスのみんなで仲良くすることを強制されました。というか私の担任がそういう感じでしたね。

私は学級委員をやることが多かったのですが、いじめの対象になっているために嫌がらせの一環で意見を出さずクスクスと笑っているという状況になったことがあります。

そのときは、なにかのイベントの概要を決めるというものでした。

私は教壇側にいたので、その様子を外から先生が観ていることを知っていました。

かなり面倒くさがりな性格だったので、「意見を出す気がないようなので、イベントは中止にしますね。みんなやる気がないみたいなので、開催しても無駄だから。先生には私から報告します」と断言しました。

クラス中があっけにとられた顔をして、慌てて先生が入ってきたのは面白かったです。

そのあとは、みんな意見を出してくれたのでイベントは開催されましたが、私は「中止になっていればラクだったのになぁ」とみんなに嫌味を言っていました。

そんな子どもだったんです。

親にもいじめに匹敵するようなことをされていましたが、親には逆らえないし罵詈雑言を浴びせられても言い返せないのですが、ある意味で学校で受けているいじめでうまくストレス発散していたのでしょう。

小学生は親に逆らったら生きていけませんからね。

これは小学生のときのことですが、今でもこの考え方は変わっていません。

意見を出さないくせに、文句ばかり言っているのならやらなければいいと思っているし「おまえは口を出すな」と言われれば「じゃあ、私は手を引くからあとは頑張ってね」と遠慮なく引き下がります。

そんなものに付き合っているだけ時間の無駄だからです。その時間があるなら自分の仕事や読書、勉強をしたいのです。

これが周囲から見れば「協調性がない」とされるのです。

私から言わせれば、意見を出さないのか出せないのかは知りませんが「これをやろう」という目的があるのに邪魔したり、嫌がらせをしているのはどっちだろうと疑問しかありません。

私は意見を出さないのなら、こちらの言うとおりにしてほしいし意見があるのならちゃんと言ってもらって更にいいものを作り上げたいのです。

そんなことばかりが重なれば、「全部1人で完結できることで収入を得て生活したほうがラク」だと思うのは当然のことのように感じます。

収入を絡めて考えるようになったのは20代後半になってからですが、小学生時代も同じようなことを考えていました。

私自身もよくわかっていないのですが、これは「大人びた考えをした子ども」なのか「いつまで経っても協調性がないいい年をした大人」のどちらなのでしょうか。

「孤独好き」なった根源は、ここにありますね。

まあ「三つ子の魂百まで」と言いますし、そういうことなのでしょう。

子どもでも大人でも好きなことは好きだし、嫌いなことは嫌いです。

それを我慢して生きていくか、我慢しないで他のことで頑張って生計を立てるかの違いだと思っています。

子どもだろうと大人だろうと「嫌なことは、嫌!!」ってはっきり言ったほうが気持ちが楽になりますよ。逆に「好きなことは、好き!!」って言ったら、生きることが楽しくなりますよ。

大人だからとか、世間の目がとか気にしているよ息が詰まってくるから、たまには「バカになって、楽しく生きる」ってことを考えましょうよ。

「孤独好き」であることがバカな生き方をしていると言われることもありますが、ストレスを抱えて生きるくらいなら、私はバカでいいです。

それでちゃんと収入を得て、生活できているんだから問題ないですし。

けれど、この考え方が「子ども」なのか「社会人になった大人」なのかは、永遠の謎です。

【次のテーマ】

次回は、「子どもの孤独と、大人の孤独」について考察していきます。

次回

第18回 子どもの孤独と、大人の孤独

 

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泪-rui-

主婦です。

気ままに活動しています。

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