孤独とは。

第9回 孤独とともにある仏教の世界

 

目次はこちらから。

 

前回までは、孤独のメリットや周りから否定される理由などを考察していきました。
今回は、少し話を変えて「孤独と仏教の世界」について考察していきます。
 
 
皆さんは、仏教という言葉からなにを連想するでしょうか。
恐らく「お経」や「お葬式」などが思いつくのではないのかと思います。
 
もしかしたら仏教に関わることが、葬儀や法事しかないという方もいるかもしれません。
 
仏教に関連して、「写経」「座禅」などもあります。
今は「座禅」に関わる書籍がたくさんあります。中には若者向けに漫画で描かれたものがあり、座禅の需要が高まっていますね。
 
実は、私も座禅を組むことがあります。
毎日というわけではありませんし、お寺に行っているわけではなく家で自己流で座禅を組んでいます。
 
仏教における「座禅」にはルールのようなものがあるのですが、基本的には胡坐を組んで背筋を伸ばし、半眼になり「無」の状態で15分ほどジッとしているのですよ。
本来なら、お線香が1本なくなる時間と言われているのですが、私はそんな長い時間はつらくなってしまうので15分です。
 
それでも、頭がスッキリします。
 
「無」の状態というのは難しいのですが、「頭に浮かんだことを受け流す感じ」でOKなのです。
なにが浮かんできても「それについて考えない」ことが重要で、頭の中に川が流れているとイメージします。浮かんだ考えが「す~」っと流れていく感じです。
 
初めの頃は、座禅の時間が苦痛だったのですが、それでも頭がスッキリするので続けていました。そしたら、はまってしまって続けています。
 
私はストレッチや筋トレ、座禅を日常的に行っています。それは、執筆するためであり、仕事のためです。そのために必要なことだからしているのであってスポーツが好きなわけでもないし、仏道に帰依しているわけでもありません。
 
 
今回は主に「座禅と孤独」についてお話します。
 
お釈迦様が悟りを開くまで、なにをしていたかご存じでしょうか。
簡単に言うと、旅をしたり、ひたすらに座禅を組んでいたのです。そうして真理に辿り着きました。
 
これは仏典の中でのお話なので、現実にあったかどうかは別の問題としてお寺の修行僧たちは毎日座禅を組んでいます。
座禅は「自分自身を向き合うため」に行い、日常生活の中で浮かんだ雑念を払うためでもあります。
 
私たちも、生きていると悩みを抱えたり、つらいことや考えたくないことがありますよね。そして、頭の中がそれのことでいっぱいになってしまいます。
 
「私は孤独が好きなんだ」と気づいたときは、かなり悩みました。頭がいっぱいになってなにも手につかなくなってウジウジしたものです。
そんなときに座禅のメリットを知って、実践してみたのです。座禅を行っていても、「孤独好き」である自分を受け入れるまで時間がかかりましたが、それでも今は受け入れることができています。まあ、たまに悩むこともありますけどね。
 
それでも、座禅をすることで思考が纏まるので重宝しています。
 
 
この「座禅」を孤独と結び付けて考えてみましょう。
座禅を組んでいる最中は「孤独の時間」です。己だけの世界で思考の時間に浸るのです。
今までも孤独の時間は自信を成長させるというお話をさせていただきましたが、座禅も孤独の時間なので自分を成長させます。
 
座禅=孤独な時間であり、自分を高めるために必要なものになります。
 
私も座禅を組むことがあると言いましたが、実は座禅を組んでいて眠くなってそのまま眠ってしまうことがあります。しかし、眠りから目覚めたあとは頭がスッキリしていて、寝起き特有のだるさがありません。それほどまでに熟睡しているのです。眠る前に頭の中を整理しているからでしょうか。
 
孤独を愛する人間にとって、家の中で行る座禅やストレッチ、筋トレは必要不可欠です。
 
 
孤独と仏教の世界というタイトルからは少し離れた話になってしまいましたね。
 
しかし、孤独を好む人間にとって仏教、仏道の世界を学ぶことは生きやすくするために必要なことです。
 
 
【次のテーマ】
 
次回は、「孤独に生きるって、寂しくならないの?」というお話をさせていただきます。
 

 

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泪-rui-

主婦です。

気ままに活動しています。

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