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第8回 孤独を否定したくなる気持ち

 

目次はこちらから。


 
今回は「孤独を否定したくなる気持ち」について考えていきます。
第5回で「なぜ孤独であることは否定されるのか」を考察しましたが、今回は「否定したくなる気持ち」の焦点を絞っていきますね。
 
 
これまで、孤独であることのメリットについて多くを語ってきました。孤独が否定されるのは、ただの嫉妬や妬みと私の中で結論が出てはいるのですが、孤独を頑なに否定する方たちは、いったいどんな思いを持っているのでしょうか。
 
まず、嫉妬や妬みという感情の根底には「羨ましい」という気持ちがあります。それを自覚しているのか、していないのかはわかりません。私の経験から言わせていただくと、自覚できていないというよりも、本能的に自覚することを拒んているように感じます。
 
はっきりと言わせていただくと、感じている嫉妬や妬みの感情を自覚して受け入れると、人としてかなりパワーアップできるのですが、それは難しいことです。私自身も、他者に対する嫉妬や妬みの感情を受け入れてはいますが、100%受け入れているかといったら違います。ただ、相手の幸せを否定したくなったときには「ああ、これは嫉妬なんだな」と考えるようにしているのです。
自分にないものを持っている人を見ると、どうしても否定したくなるのは人間の性ですから。
 
自分が相手を否定したくなるのは、ただの嫉妬だということを理解してから生きやすくなりました。そして、同時に自分が誰かに否定されたとき「ああ、嫉妬か」と受け流せるようになったのです。
 
私が「相手を否定するのは、ただの嫉妬」と考えるようになったキッカケというものがあります。それは、ある著書との出会いです。
 
それは、こちらの著書です。
 
『なぜ、「白雪姫」は毒リンゴを食べたのか』 著・岩月 謙司
 
気になる方は検索してみてください。
 
 
本の内容を簡単に説明すると、親から否定されて育つと「自分はダメな人間なんだ」「親より幸せになってはいけないんだ」と洗脳されて、幸せ恐怖症になってしまうというものです。
親が子を否定するのは、「私より幸せになるなんて、許せない」という嫉妬であり、無意識に子が不幸になるように先導しているのです。
 
かなり簡潔に説明しているので、深く知りたい方は書籍で読んでください。
 
 
私がこの書籍に出会ったのは、主人との結婚話が出始めて親に反対されていた時です。
 
スピード婚だったので心配なのもわかりますが、2人の中では結婚することでのメリット、デメリット、2人の役割分担などをすべて考慮し、話し合ったうえで「それでいきますか」と腹を決めていました。正直に言うと、愛情はあるけれど契約結婚のようなものです。結婚は利害の一致だと思っていたので、お互いがそれでいいなら結婚と言う契約を結ぶだけなのです。
きちんと話し合いをして、お互いの利害が一致したうえで結婚生活をスタートさせているので、問題が起きたらまずは話し合って2人でアイディアを出して解決策を探る体制とか、私は在宅ワークしながらすべての家事をして、収入は私のお小遣いと貯蓄、主人は会社員で毎月の生活費を稼いでくるという体制についても、なんのわだかまりはありません。
 
主人と私の「すべては原理原則の上に成り立っている」という考え方が同じであったので、相性がいいのすね。
 
そんな結婚に至る理由を、とりあえず全部説明しましたが納得してもらえず、母親は主人に「この子以外にも、いいひとはいる」「どうして、この子なのよ」「いらなくなったら、ちゃんと引き取るから」などと言っていたらしいです。父親は私に主人のことを「あいつは俺の財産をすべて奪い取る」などいろんなことを言ってきましたが、私は心の中で「あなたのどこに、奪い取られるような財産があるのか教えてほしい」と思っていましたし、それも主人に報告しましたし、主人が母親に言われたこともすべて報告を受けています。
 
 
上記のような、両親の否定を受け流せたのは『なぜ、「白雪姫」は毒リンゴを食べたのか』という本に出会ったからです。
結局は、娘の幸せを邪魔したかったのですね。
 
 
その本に出会っていなかったら、結婚を諦めていたかもしれません。
本当にたまたま目についたので読んでみたのですが、人生を大きく変える1冊になるとは思っていませんでした。
 
 
「孤独」とは話がずれてしまいましたが、戻していきましょう。
 
 
私は幼少期から、1人でいること、孤独であることを否定され、親から無理やり友だちの輪の中に入れられてきました。人と関わることを強要されてきたのです。それが大きなストレスでした。
 
子どもを心配してというのもあるのだとは思いますが、ここに大きな矛盾があったことを説明しまう。
 
人と関わることを強要しておきながら、私が友だちと遊びにいくことを許さないのです。家に友だちを呼ぶことも許しません。無理やり人と関わらせておきながら「あの子たちは、本当はあんたのことが嫌い」と言われたこともあります。
 
正直、意味がわかりません。
 
今だからわかることですが、私自身が「孤独であることを好む」「孤独によって能力を発揮する」とわかっていたからこそ、邪魔をしたかったのかもしれません。
 
そして、そんな私を受け入れてくれる主人との仲を邪魔したかったのでしょう。
 
 
いろいろ書かせていただきましたが、結論を言ってしまえば「相手を否定したくなる気持ち」は、「自分より幸せになってほしくない」とか「自分より賢いとか許さない」「自分よりお金を稼ぐなんて許せない」という気持ちが隠れているのです。
 
 
幸せになるためには、知識や考える力、思考力を身に着けて賢く生きることが必要です。身に着けるためには「孤独な時間」が必要であり、孤独な時間を好んだり、わざわざ作っている人は、人生という荒波を乗り越える力を身に着けることができるので、強いのです。
 
 
つまり、生まれたときから孤独が好きな私は、親や他者に本能的に「こいつは、なにかが違う」と思われていたので、否定して自身のない人間に育ててきたのかもしれません。というのは、私の驕りかもしれませんが、実際に今は幸せに暮らしているので、なんともいえませんね。
 
 
【次のテーマ】
 
少し話が逸れてきてしまいましたので、話題を変えます。 

次回は「孤独とともにある仏教の世界」について考察していきます。

 

次回

第9回 孤独とともにある仏教の世界

 

目次はこちらです。

  

 

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